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『おかげさま(DVD)』② ~林覚乗~ [林覚乗]

今日も昨日に引き続き、林覚乗和尚のDVD「おかげさま」からご紹介します。

おかげさま.jpg 


 ※おかげさまのDVDは、南蔵院のHomePageからご購入下さい。→南蔵院のHomePageへ



 それではDVDの内容をご紹介します。


 「生まれ変わってもお母さんの子どもがいい?」


  この話は林和尚がPTAの会合等で若いお母さんによくお話するそうです。

  自分のお子様を前に立たせて、こう聞いてみてください。
  「あなたもう一度生まれてくるとしたら、もう一度お母さんの子どもに生まれてきたいかい?」と、
  その時たいていの子どもは、「冗談じゃないよ」って言うかもしれません。
  でも、冗談じゃないよって言っても良い。その時こう言って欲しいのです。、
  「私はお前のお母さんとして生まれて来て良かった」と…。そう言うお母さんが、今は求められているのです。

  お父さんであれば、自分の息子を前にして、「お前は俺の息子に生まれて良かったか?」と聞き、
  息子がどんなへらず口を答えたとしても、「俺はお前の親父として生まれてきて、これほど良かった
  ことはないよ」と言ってあげることが出来る、お父さんが必要なのです。

  そして役割が違えば、例えばご主人であれば、奥さんを前にして、「俺はお前の夫になったことを、
  とてもうれしく思う」と一言言えるか、思えるかが非常に大事なことだと思います。
  そのことが言えるような豊かな気持ちが必要だと思います。

  この話を聞いた、あるお母さんがこのような手紙を書いて来てくれました。

  林和尚の話を聞き、私の家でも小学校3年生と1年生の娘2人との関係について、いろいろと反省
  させられました。先日ふと娘たちに「生まれ変わってもママの子どもがいいかな?」と尋ねました。
  上の娘は目にいっぱい涙をためて「ママとパパの子どもが一番に決まってるよ」と、
  「でも死んだら何もかも忘れるから、死んだらだめだよ。ママ死んだらだめだよ」と言いました。
  下の娘はニコニコしながら、「ママが一番好きだから、また子どもになりたい」と言いました。
    私は急に胸がジーンとし、二人を抱き締めました。子どもをありがたいとつくづくそう思いました。
  他人さまからみると、出来の悪い子どもかもしれませんけど、私と主人からみると宝物です。
  これからの長い人生ともに頑張って行こう、そう思いました。

  このお母さんは良い出会いを持ってくれたなと嬉しく思いました。

  しかし、このような家族だけではありませんので、もう一つご紹介すると、
  32歳のお母さんで、5歳と3歳になる二人のお子様がいます。38歳の会社員のご主人が
  酔っ払い運転で、無理に追い越しをしたが為に対向車と正面衝突し双方ともお亡くなりになりました。
  ご主人の過失の為に、相手の死んだ青年の両親から奥さん宛てに慰謝料の請求が来たそうです。
  保険金もあまり出なかったので、奥さんは、将来家を建てる為に貯金し始めていたお金97万円、
  テレビ・冷蔵庫・洗濯機・洋服ダンス・時計・指輪・夫の洋服すべて売りました。
  その代金23万円と合わせて120万円をお見舞い金としました。また、夫の退職金全額を差し上げる条件で、
   ご遺族に持って行きました。ところが、こんな少額では納得がいかないと、投げつけられたそうです。
  家に戻っても、お子様2人は、お父さんが死んだことを理解出来ないので、「お父さんどうしたの?」
  「なぜテレビが無くなったの?テレビが見たい」とせがみ泣き出したそうです。

  子どもたちは今、すやすやと眠っています。これからお父さんの元へ行けるのもしらずに…
  私と子どもとの命と引き換えに、夫の罪をお許し下さい。そのむね、ご遺族のご両親にお取り払い下さい
  ますようお願い申し上げます。

  これは遺書の写しです。この手紙のあと、2人のお子さんに薬を飲ませ、別府湾に入水自殺されたのです。
  この話は大分の交通安全大会で朗読され、その奥さんの遺族の方が、酔っ払い運転はこう言う悲劇を
  生むのです。と言う意味で、林和尚に下さったそうです。

  私は、その酔っ払い運転の悲劇と同じ気持ちで伝えたいことは、子どもは親を選ぶことはできないと
  言うことです。だからこそ親の生き方、生き様について行くしかないのです。
  だから、もっと生きたかったこの子どもたちは、自分たちで人生を歩んで行くことが出来なくなる。
  つまり親の生き方がとても重要なのです。





  「生まれ変わってもお母さんの子どもがいい?」の話ですが、DVDを見直しながら、涙しています。
  他人に優しく、心ゆたかに生きる、その根本にあるのは家族なのではないでしょうか?
  家族を愛し、親戚を愛し、隣人を愛し、友人を愛し、仕事仲間を愛し、地域を愛し、国を愛し、世界を愛す。
  愛と言うとちょっと語弊があるかもしれませんが、それぞれの立場でそれぞれの役割で、
  心ゆたかに人とつきあう。出会って行く。そう心がけたいものです。

  また、飲酒運転での悲劇の話ですが、子どもは親を選ぶことは出来ないのですよね。
  だから親もしかっりしなければならないのですが、親も人間ですし、時には苦しいこと辛いこともありますよね。
  常に心ゆたかな親でいるのは大変ですが、時にはこんな素敵な話を聞き、涙し心をスッキリさせる時間も
  必要なのではないでしょうか?また、子どもからいろいろ教えられることも多いのが事実です。
  その教えも、自分の心がゆたかであれば、教えの意味が解るのですが、心に余裕がない状態では、
  何も知ることや感じることができません。日々心に余裕を持ち、出来るだけ心ゆたかに生活して行きたいと
  思います。意外に子どもって感動的な話も好きですよね。ちょっと照れて嫌がりますが、タイミングが
  あえば真剣に話を聞いてくれるし、考えも伝えてくれます。
 
  私の上司に野口さんの「鏡の法則」を渡したところ、上司は家の机の上においていたら、
  上司の娘さん(高校生)が読んで涙していたそうです。そんな素敵な本をきっかけに、家族全体が
  心ゆたかに生活していけるといいですよね~。そんな上司には、次は「手紙屋」を渡したいと思います。

  今日はこのへんで・・・あと、このDVDから「ボクサーの海老原選手」の話と「心のこもった貯金通帳」を
  ご紹介したいと思います。それでは・・・
 
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『おかげさま(DVD)』① ~林覚乗~ [林覚乗]

 今日は、林覚乗和尚のDVD「おかげさま」からご紹介します。

 このDVDは、2003年3月に制作されました。
平成15年2月22日 筑後市商工会議所にて撮影 講演のテーマは「おかげさま」です。
おかげさま.jpg 


 ※おかげさまのDVDは、南蔵院のHomePageからご購入下さい。→南蔵院のHomePageへ



 それではDVDの内容をご紹介します。


 「口と鼻の喧嘩」


  この話はある宗教雑誌に掲載されていた話だそうです・・・

  口が鼻に文句を言った
  「おれは、1日3回のごはんを食べて、体を養ってるのに、顔の一番下にいるのはおかしい!」

  すると、鼻だけに「ふふーん」と笑い
  「1日3回くらいで、お前は偉そうなことを言ってはいかん!」
  「おれは24時間息をしてるんだぞ!だから俺のほうがお前より上だ!」
  そう口と鼻が言い争いをしていて、ふと気がつくと、上に目があることにきがついた。
  「おいそういえば、目は何もしないで、俺達を見下してるだけじゃないか」
  それなら二人で目に文句を言いに行くことになり、目に文句を言うと

  目は「口が偉そうなことを言うな、食べて良いものと悪いものと見分けて、あげてるのは俺だぞ!」
  「鼻が偉そうなことを言うな、俺が高いところで見張ってやってるから、
  お前たちが車にもはねられないで、生きていくことができるんじゃないか」
  「口がそんなに上に行きたかったら、頭のてっぺんに行け、そうなると、味噌汁はどうやって飲むんだ?」
  と三人で話し合っていると、上に眉毛がいることに気がついた。
  「眉毛は何もしないで、朝から晩まで寝たままだ、あんなしょーもない奴はおらん」と三人で文句を言うと、

  眉毛は「私は皆様方の働きに心から感謝します。」と言ったそうです。

  さて、これは、どういうことかと言うと、
  口だけでは生きていけない、鼻だけでも目だけでも生きていけない、
  それぞれが大切な役割を持っているという教えだそうです。

  言い換えると、お年寄りだけでも生きてはいけない、若い人だけでも生きてはいけない。
  男だけでも女だけでもだめ、それぞれが大切な役割を持っているんだということなんです。



「ワールドカップのデンマーク代表トマソン選手の話」


  ワールドカップが日本で開催された年に、デンマークのサッカーチームが
  和歌山県に合宿をしたそうです。他国のチームのほとんどは、チームの練習は
  非公開で行われていたのですが、デンマークのチームは、オルセンという監督みずからが
  キャンプ地を提供してくれた和歌山の町の人々が喜ぶことになることは何でもしてあげることが
  私たちの仕事だと言い、それは試合に勝つことよりなによりも大切だとの考え方により、
  すべての練習を公開し、さらにその後には、少年達をグランドに呼び、ミニサッカーゲームをしたり
  サイン会や握手会を続けていたそうです。

  その時の選手で、トマソンという選手がおりました。
  (当時は小野選手と同じチームでオランダリーグで活躍していた)
  ある日、トマソン選手が、いつもと同じく練習後のサイン会をしていたそうです。
  その時は、トマソン選手のサインが欲しく、たくさんの子どもたちが、列をなしてならんでいたそうです。
  順番が来て、一人の少年がトマソンの前で、何も言わず、もぞもぞトマソンの前に立ち尽くしていたそうです。
  トマソンはその少年が気になり、「どうしたの?」と聞くと、その少年は1枚の紙切れを出し
  トマソンに渡したそうです。その手紙は、学校の先生に書いてもらった英語の手紙で、
  「ぼくは小さいころに、病気にかかって口と耳が不自由です。耳は聞こえません、話すこともできません。
  だけどサッカーだけは大好きです。僕はトマソン選手が大好きなのです。」
  とその手紙に書いていたそうです。

  その手紙をみたトマソンは、にっこり笑い「君は手話ができますか?」と手話で語りかけたそうです。
  しかし、手話は世界共通ではないので、デンマークの人の手話は、日本人には通じなかったそうです。
  すると、トマソンは横に立っていた通訳の人に、「僕は今から、彼と筆談で話をしたいので、
  手伝っていただけますか?」と許可をもらい
  さらに、後ろの列で並んでいる子供たちにも、「彼と話をする時間を僕に下さい」と言い断りをいれ、
  少年との筆談が始まったそうです。

  その筆談の中で、トマソンは「君はサッカーが好きですか?デンマークを応援して下さいね。」と書き
  少年はうなずき、そして「トマソンさんはどうして手話ができるのですか?」と尋ねると、
  トマソンは「僕にも君と同じ試練をもつ姉がいます。彼女のために、僕は手話を覚えたのです。
    試練は君にとってつらいことだと思いますが、同じように君の家族もその試練を共有しています。
  君は一人ぼっちじゃないということを解っていますか?」と少年に優しく語りかけたそうです。
  すると少年は黙ってうなずくと、トマソンは「解っているならOK!だれにも辛いことがあります。
  君にも僕にも、そして君のお母さんにも…それを乗り越える勇気を持って下さい」

  その光景を横でみていたお母さんは、泣き崩れていたそうです。

  さらにトマソンはこう言ったそうです。「ぼくは今大会で1点を君のために必ずとります。
  その姿を見た君が、これからの人生をがんばれるように僕は祈っています」と筆談で語りかけたそうです。
  すると少年が「はい。応援しますから頑張ってください」と答え会場をあとにしたそうです。

  その後、この大会で、トマソンは4点取ったそうです。
  しかし、デンマークはイングランドに負けたため、自国に帰ることになり、
  和歌山の人々は、デンマークのサッカーチームが大好きだったので、
  さよならパーティを開催することになったそうです。
  そのさよならパーティーの会場で、トマソンはその少年を即座にみつけ、自分の所に呼び、
  少年に「せっかく応援してくれたのに、負けてごめんなさい」と謝ったそうです。
  少年は、「負けたけど、とてもかっこよかったです。約束通りに点を取ってくれて僕はとても嬉しかったです。」と
  筆談で渡すと、トマソンは「僕から君に言える言葉はこれが最後です。よく聞いて下さい。
  君には前にも言った通り、試練が与えられている。それは神様が決めたことだから
  今からは変えられない。神様は君に試練を与えたけれど、君にもゴールを決める
  チャンスを神様は同様に与えてくれるはずです。そのチャンスを逃さず、ちゃんとゴールを決めて下さいね。」
  と言い、最高の笑顔で2人は写真に納まったそうです。



  「口と鼻の喧嘩」の話いかがですか?林和尚はよくこの手の話をします。
  老人には老人の役割、若者には若者の役割、男にも女にもそれぞれの役割。
  女に良と書いて、「娘」。女に家と書いて、「嫁」。女に古と書いて「姑」。女に波と書いて「婆」。
  嫁は嫁の役割、姑は姑の役割があり、それぞれ役割が違う。当然それぞれ役割が違うので、
  考え方も違うものなのです。さらに、それぞれがそれぞれの役割を一生懸命に全うすることが、
  何よりも大切だと言う教えですね。

  「サッカーデンマーク代表のトマソン選手」の話ですが、こんな一流選手でも、ひとつひとつの出会いを
  大切にしているし、出会いを大切にしているから一流選手なのかもしれませんね。
  また、我々は素敵な出会いを求めているだけではいけなく、我々自身が、素敵な出会いを心がけることが
  なによりも大切だということですね。

  今日はこの辺で、まだ、DVDの半分程度ですので、残りはまた後日Upしますのでお楽しみに・・・
 
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『であい(DVD)』 ~林覚乗~ [林覚乗]

 このDVDは、1999年5月に制作されました。
 南蔵院の月華殿での講演の内容が収録されております。

であい.jpg
今日は、林覚乗和尚のDVD「であい」からご紹介します。


 ※であいのDVDは、南蔵院のHomePageからご購入下さい。→南蔵院のHomePageへ

 一月一日の初日の出を拝む人はいるけれど 十二月三十一日の最後の夕日に手を合わせる人はいない。
 いやな事も多かった一年かもしれないけど多くの出会いが今の自分を創ってくれた。
 わかりもしない明日をただ待つことより 感謝の心ですべてを観ることができたら 
 受け取ることができたらすばらしい。
 同じ祈るなら自分のことより多くの人の 幸福を祈ることができる人間でありたい。
 やさしさにも大きさが必要だ。     ~林覚乗~



 それではDVDの内容をご紹介します。
 「通信簿と算数の問題」
  通信簿がこれ以上悪くならないように、住職の息子さんは冷蔵庫に保管していたそうです(笑)


「ディズニーランドのお子様ランチのお話」
  これは感動のお話です。→過去の記事を参照して下さい


「博多駅を日本で一番きれいな駅にする運動」
  なぜ博多駅にはホームレスが多いのか?


「大分の警察の話」
  泥棒や犯人を捕まえて表彰された警察官は多いが、住民から感謝されて
  表彰をした警察官は初めてだ・・・



「お墓に配達された御礼状」
  福岡県の川辺さんと言う方が、数年前の新聞に投稿されていた記事です。
  自分たち夫婦が結婚して20周年を迎えた。20年を無事に迎えることが出来たのは
  結婚式に出て下さった人たちが支えてくれておかげだと…
  20年前の結婚式に出席して下さった方たちに、お礼の手紙を書かれたそうです。
  書いてる最中に、ご主人が奥さんに聞かれたそうです。
  「この手紙を出す人の中で、一番お世話になって人は誰と思うか?」と
  奥さんは「あなたのご両親でしょうね」とおっしゃったそうです。
  ところが亡くなったご両親ですから、どこにおられるかと言うと、
  福岡市内の市営平尾霊園に眠っておられるのです。
  それでも手紙を書こうと言って、御礼状を書いて、宛名は福岡市平尾霊園
  川辺家××××と言う戒名だけで、ハガキを出されたそうです。
  戻ってくるハガキだったのですが、戻ってこなかったのです。
  奥さんは娘さんを連れてお盆にお墓参りに行かれたら、風で飛ばないように
  石がおかれ、濡れてもいいようにビニールに包まれたハガキが、このお墓の前
  きちんと配達されていたそうです。
  それを見て驚いた奥さんは、霊園の事務所に行って聞いたそうです。
  その事務所の方は、郵便配達の方が来られ、このハガキを届けたいので、
  場所を教えて欲しいと言って、配達して帰られたそうです。
  このことを知り、川辺さんは新聞に、「私は一人の市民として、こんな優しい
  人たちが影で支えてくれている、福岡という町が大好きになりました。」
  と書いたそうです。

  この時の郵便配達の人も、決して褒められたいとか、認められたいとか
  お礼を貰いたいとか、損得ではないから、人の心を動かすような「であい」に
  なったのだと思います。
  人間と言うのは、いい人に出会いたい、いいことにめぐりあいたいと思う人は
  たくさんおられるが、じゃあ自分が他の人にいいことをしてあげているか、
  自分が人としていい人で、であっているかということが、もっと大事なのです。

   
「お葬式に行けなかった同級生」と「足が不自由な中学生の卒業式」
  同じ地位や知識をもった校長先生の違いとは→以前の記事へ


「新入社員への講演会」
  最近の新入社員は真剣に講演を聞いてくれるが、入社半年も過ぎた社員は・・・    


「初月給を親のために使え」
  これも感動のお話です → 以前の記事へ


「父へあげたい表彰状」
  鳥取県の県知事 青少年主張コンクール 中学校2年生の女の子のお話を元に・・・    


「12月31日大みそかに夕日に感謝をする人はいない」
  忘れないで欲しい感謝の気持ち → 以前の記事へ 


「長崎バスの車掌さんの話」
  命をかけて乗客をお守りした車掌さんのお話です。 → 以前の記事へ


「名古屋のバスの運転手さん」
  名古屋バスの運転手さんのお話で、さくらを植える運動をしている方のお話    


「モンロヴィア行きの電車にのって」
  人のやさしさ、人を思いやる気持ちに国交は無い。このDVDのテーマと言ってよい話 → 以前の記事へ




    このDVDも見どころ満載です。お子様ランチの話と、長崎バスの車掌の話、モンロヴィア行きの電車の
  話は涙なしには聞けません。このDVDのテーマは「であい」です。
  お墓に配達された手紙の話で、住職が言っている、「人間と言うのは、いい人に出会いたい、
  いいことにめぐりあいたいと思う人はたくさんおられるが、じゃあ自分が他の人にいいことを
  してあげているか、自分が人としていい人で、であっているかということが、もっと大事なのです。」
  この気持ちなのですね~ これからの生活においても この気持ちを忘れずにして行きたいと思います。


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『心ゆたかに生きる(DVD)』 ~林覚乗~ [林覚乗]

今日は、林覚乗和尚のDVD「心ゆたかに生きる」からご紹介します。

 このDVDは、1993年7月に制作されました。
 西日本新聞社主催の西日本婦人懇話会
 テーマは「人生は明るく生きる」です。

心ゆたかに生きる.jpg


 ※心ゆたかに生きるのDVDは、南蔵院のHomePageからご購入下さい。→南蔵院のHomePageへ

 思っていた程 物事がうまくいかないで 苦しんでいるあなた
 人と思いが通じず さびしい心の君も
 一生懸命やっているのに他人が解ってくれないと 愚痴を言っている人も
 そんな自分と離れて生きることは 出来ないのだから
 自分をはげましてあげよう 自分をほめてあげよう
 自分には自分にしか歩けない道があるから 他人と比べる必要はないじゃないか
 元気を出して目の前の自分の現在の役割に 全力で取り組もう     ~林覚乗~



 それではDVDの内容をご紹介します。

 「豊かさがあれば、叱り方も違う」
 この話は、あるお坊さんのお説法の中に出てきた話で、
 ある奥さんが娘さんを見ていて、気がついたことを書いた話です。

 ある日の夕方、主人が入浴している風呂場に娘のめぐみが入って行き、運動靴を洗おうとしておりました。
 その靴というのは、その朝おばあちゃんが一生懸命洗ってくれた靴だったのです。
 でも、おばあちゃんの力が弱くて、きれいになっていなかったんです。
 それが不満で、娘のめぐみがもう一度、洗いなおしをしようとした。
 「ばあちゃんが洗ったのなんか、少しも汚れが落ちていない。
 もう一度洗わないといかん」と言って。プリプリして洗い始めた。

 そして、その話を聞いていたお母さんは「だったらなぜ、自分の気に入るように洗わないの?人のした事が
 気に入らないなら、自分でしなさい、あんたが横着なんだ」と言って大きな声で娘を叱ったそうです。

 ところが風呂場に入っていたお父さんは、全然叱り方が違ったそうです。
 「めぐみちゃん、せっかくおばあちゃんが、お前を思って洗ってくれたのに、
 きれいになっていないからと言って、一度もはかないですぐ洗っちゃうのはいかんよ。」

 「二日でも三日でもはいてからにしなさい。おばあちゃんがどんなに気を悪くするか
 お前でもせっかく洗ってくれたものを、一度もはかないであらわれてごらん、
 どんな気がする?まして年をとったおばあちゃんが、洗ってくれたのだから、
 ありがとうと言って、二~三日履いてからにしなさい。そうすれば、おばあちゃんだって気持ちがいいはずだ。」

 「おばあちゃんに、年をとったから、靴も満足に洗えなくなったと、思わせてはいかん。
 落胆させてはいけない。めぐみ、おばあちゃんが、あんたの靴を洗ってくれるなんて、
 よくよくあんたがかわいいからだよ。本当ならあんたが年をとったおばあちゃんの
 仕事を手伝ってあげるのが、人間の道じゃないかな?それをおばあちゃんが洗ってくれたものが、
 気に入らないからと言って、洗い直しをするなんて、まるで当てつけみたいなものじゃないかな?
 人間の行為はありがとうと素直に受け止めるものだよ」とお父さんは言われたそうです。

 それを聞いた、めぐみちゃんは泣きながらうなづいて、風呂場から出て行ったそうです。

   わたくしは、このお父さんも豊かな気持ちを持っておられるから、こういう叱り方が
 できるんだと思います。お父さんの中に、ゆとりと言うか豊かさがあるから、
 素晴らしい親子関係を作っていくことが出来るんだと思います。
   こういう出会いは、我々の日々の生活の中で、あっているんですけど、その出会いを今、大切にすることが、
 なかなかできなくなっている。人からいい出会いをほしがるばかりで、自分が何をできるかということを
 本当に考える機会がいま少なくなってきたな~と思います。
 





「与えられた役割を全うする」
 みなさんご旅行にいかれたら、是非とも行ってみて欲しいのですが…
 長崎のグラバー亭から15分ほど、長崎市郊外の時津町で、打坂と言うバス停があります。
 このバス停の横に、小さな記念碑とお地蔵さんがならんでいます。これは何かといいますと、
 昭和24年にですね、長崎自動車の当時木炭バスが37名程の乗客を乗せて、打ち坂を登っていったそうです。
 すると、エンジンが途中で止まってしまったそうです。運転手さんがブレーキを踏んで、
 エンジンを入れなおそうとしたところ、ブレーキが利かなかったそうです。
 そして、今度は補助ブレーキを引っ張ったら、補助ブレーキも効かなかったそうです。
 そこで、ギアを前進に入れて止めようとしたら、ギアも入らなかったそうです。
 3重の事故が重なってバスが後ろ向きに暴走し始めたそうです。
 その時に、当時は、運転手さんと車掌さんの2人が乗務していたので、

 男の車掌さんで当時21歳の鬼塚さんへ、運転手さんが大声で、「鬼塚すぐ飛び降りろ!飛び降りて、
 棒でも石でもなんでもいい車止めに放り込んでくれ!」
 そして、鬼塚さん飛び降りて、道の近くに落ちていたものを、どんどん車の下に放り込んだそうです。
 ところが、その時にはすでに、バスには加速度がついていて、止まらなかったそうです。

 なかの乗客は殆どが、原爆症の治療の行く、お年寄りとお子さんが多かったそうです。
 当時は、ガードレールなどがなく、落ちれば全員が即死状態でした。
 当時の乗客は、このように話しておりました。「横が緑の草むらだったのが、一枚の壁に見えた」と言うほどの
 スピードで下っていったそうです。

   そして、断崖絶壁まで4~5メートルのところでバスが奇跡的に止まったそうです。
 この時に、運転手さんが中の乗客を誘導して、近くの草むらに連れて行って、
 放心状態の乗客たちを座らせたそうです。

 しばらくして、それぞれが正気を取り戻し、全員がそろった時に、運転手さんが気がつかれたのが、
 車掌さんの鬼塚さんが、まだ、戻って来てなかったのです。
 運転手さんは、「あ~まだあいつは、棒や石を探しているんだな~」と思って、近くを探したけれども、
 見つからない。何人かの乗客が一緒になって探し始めた時に、ビックリしたのは、
 鬼塚さんが、丸太を抱いたような形で、バスの後車輪に飛び込んで、自分自身が車止めに
 なっていたそうです。それで、乗客のみんなでバスを押し、鬼塚さんを引きづり出したそうですが、
 その時、すでに、内臓破裂で鬼塚さんは即死だったそうです。

 乗客のみなさんは鬼塚さんを見て、「この人は、われわれを救うがために、この世の中に生をうけた、
 きっと仏さんか菩薩さんの生まれ変わりじゃないか」とこの人はこういう為にうまれてきたんだと、
 みんな感激されたそうです。ところが昭和24年頃で、物資が何もない時代なので、どうしようもなかった。

 ところが、それから、24年後(昭和48年)、その事が毎日新聞の記事として載り、それをたまたま、
 長崎バスの社長が見つけて、こんな立派な車掌がいたことを我々役員が忘れてはいかんと言うことで、
 その日のうちに、役員会を開かれて、記念碑をたてて、お地蔵さんをたてたそうです。

 翌年の昭和49年からいまだに、そこで鬼塚さんの供養祭が続けられています。
 22歳でなくなって、何も血のつながりもない、人々の心の中にいまだに、生き続ける人がおられる。
 我々は長く生きる事も大切だけど、いかに生きるかの大切さがそこにあるんだということ、
 我々は、他人と自分との役割を比べたり、自分の置かれた立場を他人と比べる必要はないのです。
 自分に今与えられた役割に対して、一生懸命それを尽くしているかどうかということに、大切さが
 あるんだということです。




   いかがでしょうか? 素敵な内容だと思いませんか?
 講演の内容を少し省略し掲載しております。(講演では、素敵な話にも多少の笑いも含まれているので・・・)
 叱りかたの本とか、褒めて育てる方法とか、いろいろありますが、何よりも、叱る人本人の心がゆたかに
 ならなければ何の意味もないし、心をゆたかにすれば、いろいろな問題も解決しそうな気がします。
 長崎自動車のバスの話は、まさに与えられた役割を全うする。その役割が人と比べて、どうだとか
 考えるのではなく、その役割に全力で立ち向かえるかということなのでしょうか?

 このDVDには、その他に「成人式と老人大学の話」や「お雛様のお話」「女→娘→嫁→姑→婆の話」
 「入社試験で、親の足をあらう話」「女子高校生に教えられこと」
 特に重要な「南蔵院は1円玉にこだわっていない(笑)」と言う話「貴乃花親方の思い」など
 見どころ満載です。是非とも一度ご覧下さい。



    ※追記 この記事は本当にたくさんの方にアクセス頂いております。
    本当にありがとうございます。
    もしよろしければ、一言感想をコメントに記述して頂ければ幸いです。
    「面白かったです」とか「素敵な話でした」とかでも結構です。
    よろしくお願いいたします。


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『心ゆたかに生きる④』 ~林覚乗~ [林覚乗]

南蔵院の林覚乗さんの心温まる素敵な作品です。その4回目です。


心ゆたかに生きる








 ※心ゆたかに生きるは、南蔵院のHomePageからご購入下さい。→南蔵院のHomePageへ
  Amazonではプレミアがついてますね~。私も南蔵院で購入しました!DVDもまとめてです。

 プロフィールは以前の記事をご覧下さいね→以前の記事へGo

昨日に引き続き、感動の本の内容の紹介をいたします。
※この話と感想が、野口嘉則さんのブログに乗っています。→野口さんのブログへGo



かけがえのない命を生きる

 ジャーナリストで、作家でのもある大谷昭宏さんが読売新聞の記者をされていたころ「窓」
 という欄を担当しておられた。その欄にこんな内容の記事が載りました。

 広島の女子高校生のA子ちゃんは生まれた後の小児まひが原因で足が悪くて、平らな
 ところでもドタンバタンと大きな音をたてて歩きます。この高校では毎年7月になると、プールの
 解禁日にあわせて、クラス対抗リレー大会が開かれます。一クラスから男女二人ずつ
 四人の選手をだして、一人が二十五メートル、全部で百メートル泳いで競走します。
 この高校は生徒の自主性を非常に尊重し、生徒だけで自由にやるという水泳大会で、
 その年も、各クラスで選手を決めることになりました。

 A子ちゃんのクラスでは男二人、女一人は決まったのですが、残る女一人が決まらなかった。
 そこで、早く帰りたくてしょうがないそのクラスのいじめっ子が「A子はこの三年間体育祭
 にも出てないし、水泳大会にもでていない。何にもこのクラスのことをしていないじゃないか。
 三年の最後なんだから、A子に泳いでもらったらいいじゃないか」と意地の悪いことをいいました。
 A子ちゃんはだれかが味方してくれるだろうと思いましたが、女の子が言えば自分が泳がなければ
 ならないし、男子が言えばいじめっ子のグループからいじめられることになり、だれも味方して
 くれませんでした。結局そのまま泳げないA子ちゃんが選手に決まりました。

 家に帰りA子ちゃんは、お母さんに泣いて相談しました。ところが、いつもはやさしいお母さんですが
 この日ばかりは違いました。

 「お前は、来年大学に行かず就職するって言ってるけれど、課長さんとか係長さんからお前が
 できない仕事を言われたら、今度はお母さんが『うちの子にこんな仕事をさせないで下さい』と
 言いに行くの。たまには、『いいわ、私、泳いでやる。言っとくけど、うちのクラスは全校でビリよ』と、
 三年間で一回くらい言い返してきたらどうなの。」とものすごく怒ります。A子ちゃんは泣きながら
 二十五メートルを歩く決心をし、そのことをお母さんに告げようとしてびっくりしました。
 仏間でお母さんが髪を振り乱し、「A子を強い子にしてください」と必死に仏壇に向かって祈っておられた。

 水泳大会の日、水中を歩くA子ちゃんを見て、まわりから、わあわあと奇声や笑い声が聞こえて
 きます。彼女がやっとプールの中ほどまで進んだその時でした。一人の男の人が背広を着たまま
 プールに飛び込みA子ちゃんの横を一緒に歩き始めた。それは、この高校の校長先生だった
 のです。「何分かかってもいい。先生が一緒に歩いてあげるから、ゴールまで歩きなさい。
 はずかしいことないじゃないか。自分の足で歩きなさい」と励まされた。一瞬にして、奇声や笑い声は
 消え、みんなが声をだして彼女を応援しはじめた。長い時間をかけて彼女が二十五メートルを
 歩き終わったとき、友達も先生もそして、あのいじめっ子グループもみんな泣いていました。

 この話を聞き、感動された方が、「窓」の欄に寄稿されたのです。「世の中で何が大事か。人間と
 して、していいこと、悪いことがある。その区別がつく人間に育ってほしい」ということを、この校長
 先生は身をもって実行されたのです。
 A子ちゃんがどんなにかわいそうだと思っても、お母さんが代わりに泳ぐことはできないし、校長
 先生も代わりに泳ぐことはできないんです。かけがえのない命というものは、人と比べることは
 できないし、代わることはできないんです。ところが、私たちは、ともすると絶対的なものと比べて
 劣等感を持ったり、優越感を持ったりするんです。一人ひとりが自分の命の大切さに気がついて、
 その命、この世に還元して生きることを大切に考えるべきと思うのです。




 
 いかがでしたか?4回に渡って、林覚乗さんの「心ゆたかに生きる」をご紹介してきました。
 わずか97ページの本で、22のお話で構成されています。このような素敵な本は是非とも、
 学校の授業で教材にして欲しいですね~と思うのは私だけでしょうか?
 南蔵院のHomePageから、講演会のDVDを購入することができます。全部で3本あり、
 私は3本とも購入しました。とても素敵な内容です。また機会があれば、その内容をブログで
 公開しますね。
 林覚乗さんの講演会も、全国各地で開催されています。(・・・と言っても九州地区中心ですが)
 皆さんの町に、来る時は是非とも講演会に参加し、その感想を教えて頂ければ幸いです。

 その他の、林覚乗さんの記事です。
 『しあわせを感じる喜び』
 『自分が好きですか①』
 『自分が好きですか②』
 『心ゆたかに生きる①』
 『心ゆたかに生きる②』
 『心ゆたかに生きる③』

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『心ゆたかに生きる③』 ~林覚乗~ [林覚乗]

南蔵院の林覚乗さんの心温まる素敵な作品です。その3回目です。


心ゆたかに生きる








 プロフィールは以前の記事をご覧下さいね→以前の記事へGo

昨日に引き続き、感動の本の内容の紹介をいたします。




初月給は親のために使え

 私の尊敬するA先生は「初月給は親のために使え」としつこく言われます。先生は幼い
 ころ熊本で日用雑貨の行商をしていた両親のリヤカーに乗って育ちました。貧しい生活
 でしたから、寒い日のお母さんは首にタオルを巻いていました。お父さんの夢は、白い
 パンを腹いっぱい食べてみたいということでした。そんな記憶が残っていたものですから、
 初月給をもらった先生は、お母さんにネッカチーフ、お父さんにはトースターをプレゼント
 しました。お父さんは余程嬉しかったのでしょう。一枚一枚自分で焼く旧式のトースターを
 その後永年、大切に使われたそうです。

 その先生の話を聞いた某信用金庫に勤める二十歳の短大卒の女性が、初月給を親の
 ために使って喜んでもらおうと、両親をレストランに招待しました。お母さんは前日から
 美容院にセットにいったりして大喜び。ところが、お父さんはブスッと不機嫌な顔をしてついてきた。

 「何を怒っているの」とたずねたら、「一回の晩飯ぐらいで、俺が二十年間苦労して
 育ててきたことが帳消しになると思ったら、大間違いだぞ」と言う。「そんなこと、どうして言うの?」
 と思ったけど、口に出しません。今日はめでたい日だし、お母さんは横でもうパクパク
 食べ始めているし、今さら怒って帰れない。しばらく天井を見つめていたお父さんが、
 ポツリと「ビールぐらい、飲んでもいいか?」とおっしゃった。「誰がビールなんかついで
 やるもんか」、そう思ったけど、つがなきゃしょうがないなと思って彼女はお酌をした。

 ところが、コップを差し出したお父さんの手には、二十年間勤めたセメント工場での
 白い粉が、びっしり。手の甲のしわと毛穴にまで詰まっていました。それに気づいた彼女は
 「お父さんゴメンネ」と言いたかったけど、どうにも言葉になりませんでした。

 自宅に戻ったその後、彼女がトイレに行こうとして両親の部屋の前を通りかかったら、
 中から話し声が聞こえる。どうせまた、お父さんが私の悪口を言っていると思ったら、
 それが違うのです。「俺も五十いくつになるけど、今日みたいにおいしい晩ご飯は
 初めてだった。あいつの顔を見ていたら、俺は涙があふれそうになったから、天井しか
 見れなかったけど、なあお前、本当にいい娘に育ったなあ」。その瞬間、彼女はそこから先
 に足が進みませんでした。そのまま自分の部屋に帰って、頭から布団をかぶって
 「バンザイ!」と叫んで、布団の中で朝まで泣き続けました。

 この話を彼女は二十五歳の結婚披露宴のあいさつでしたそうです。「先生の一言が
 あったから、私は今、こうやって幸せになりました」。これが、私たちが今、置き忘れて
 きた”情”の世界なんです。点数にならない。そして、お金にもならない。しかし、それを
 大事にして育てていかなければいけないんです。




 
 このような素敵な話を教訓に、次の世代に伝えていく事が、我々の使命なのではないでしょうか?
 私も父に、初任給でお酒をプレゼントしました。なぜなのか、そのお酒はまだ飲まずに飾っていますが・・・
 新入社員にも、伝えています。「何でもいいので、両親に何かプレゼントをして下さいね」と。
 「初月給は親のために使え」と言う教えは、昔は誰かが言わずとも、何となくそんな気持ちが
 自然に持っていた気がしますが、今はどうなのでしょうか? 
 この記事を読んで頂いた、みなさんが、自分のまわりの若者に伝えていけば、また、この教えが
 広まり、心ゆたかな社会になっていくのではないでしょうか?
 斎藤一人さんの、今日の一言で、「いいこと聞いたら、即実行!」と言う言葉がありました。
 昨日の記事にもありますが、知識だけでなく、一歩行動をすることにより、素敵な社会に
 なるのではないでしょうか!  

 その他の、林覚乗さんの記事です。
 『しあわせを感じる喜び』
 『自分が好きですか①』
 『自分が好きですか②』
 『心ゆたかに生きる①』
 『心ゆたかに生きる②』

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『心ゆたかに生きる②』 ~林覚乗~ [林覚乗]

南蔵院の林覚乗さんの心温まる素敵な作品です。その2回目です。


心ゆたかに生きる








 プロフィールは前日の記事をご覧下さいね→前日の記事へGo

昨日に引き続き、感動の本の内容の紹介をいたします。




ひと声の勇気の美しさ

 人間の本当のやさしさ、思いやりとはなんだろうか。一言で言えば、勇気を持った行動
 ではないかと私は思うのです。だいぶ、以前のことですが、夫に蒸発された主婦が幼い子を
 道連れに、自殺を考えていたところ、見知らぬ人から思わぬ励ましを受け立ち直ったと言う
 話が新聞に載っていました。

 主婦A子さん(29歳)の夫は、機械のリース会社に勤務するごく普通のサラリーマンだった
 のですが、あるとき商品相場に手を出し会社や金融機関から借りたお金が約2000万円。
 これに、家のローンや勝負ごとの負けも加わってついにマイカーごと蒸発。その日以来、
 A子さんは毎日夕方になると三才の長女を連れて自宅近くの陸橋へ出かけるのが日課に
 なりました。毎日、毎日、きょうこそ夫が帰ってくるのではないかという期待を胸に陸橋の
 上にたたずむ日が続きました。しかし、一か月たっても夫は帰らず、連絡するもありません。

 借金の督促は厳しく、帰るあてのない夫を待つことに疲れ果てたA子さんは、何度も死ぬことを
 考えたと言います。そんな四月の雨の日、一台の車が陸橋の下で止まり、A子さんと同じ
 年格好の女性が降りてきて、二人に声をかけました。

 「間違ったらごめんなさい。いつもそこにいるけど、身投げなんかしないでね。」
 この女性は日頃、陸橋の下を通り二人を見ていたんです。A子さんが返す言葉もないままでいると
 その女性は小銭入れを渡したそうです。中には小さく折った一万円札が二枚とメモ用紙が
 入っていました。<いつも気になって、あなたのことをみていました。人生って死んで何も
 かも終わりだと思うけど、お子さんだけは道連れにしないでね。>と記されてます。
 さらにもう一つ、小さなカエルのマスコットが入っていました。A子さんには、このカエルが
 「帰る」と言う言葉に結びつき何かの暗示のように思われ、その場で娘を抱きしめながら
 あふれる涙をおさえることができなかったそうです。

 「勇気がわいてきて、立ち直れそうな気持になりました。」その後、北陸の旧家の
 A子さんの実家では夫と縁を切るという条件でお金の始末をつけてくれることになり、
 A子さんも里帰りして出直すことになりました。立ち直ったA子さんはその姿を見てもらおうと
 何度か陸橋に出かけたのですが、なぜかあの女性の車は通らなかったそうです。
 A子さんが命の恩人を捜している、ということで新聞の記事は締めくくられています。

 苦しんでいる人を助けたい、役に立ちたいという思いはだれにもあるでしょう。だが、
 なかなか実行できないものです。この話では車の女性が一歩踏み込み、勇気をもって
 ひと声かえ、ちょっとした心づかいを見せたことが二つの命を救ったのです。

 A子さんの感謝の気持ちは大切ですが、私は車の女性の勇気ある行動に感動し、そこに
 人間の本当のやさしさ、思いやりを見る思いがするのです。そして、このことは人の出会い
 というものが、いかに素晴らしいかを示しているのではないでしょうか。




 
 これも素敵な話ですよね~。たしかに、誰か人の為に何かをしてあげたい気持ちは私もありますが、
 なかなか1歩を踏み出す勇気がありません。わずか1歩なんですけどね~。
 以前、『鏡の法則』の野口義則さんブログでも、何かを成し遂げるとき、一番難しいのは最初の1歩です!
 みたいな記述がありました。そのほんの1歩を踏み出す勇気を、このような素敵な本を読み、
 日々磨いて行きたいと思います。知識だけでなく行動ですね。その行動も最初の一歩さえ踏み出せば、
 その踏み出す勇気があれば、素敵な出会いがあり、心ゆたかに生きていけるんですね。

 その他の、林覚乗さんの記事です。
 『しあわせを感じる喜び』
 『自分が好きですか①』
 『自分が好きですか②』
 『心ゆたかに生きる①』 

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『心ゆたかに生きる①』 ~林覚乗~ [林覚乗]

南蔵院の林覚乗さんの心温まる素敵な作品です。



※みなさまのおかげで、この記事は1000アクセスを超えました。(2008/12/26現在) ありがとうございます!




心ゆたかに生きる








久し振りの林覚乗さんのご紹介なので、ちょっとプロフィールを・・・
 
 著者の林覚乗さんですが・・・
 福岡県にある南蔵院(なんぞういん)の第二十三世住職です。
 
 昭和28年4月24日 福岡県粕屋群篠栗町生まれ
 昭和51年       高野山大学密教教科卒業
 昭和51年~53年  高野山真言宗
              ハワイホノルル別院駐在開教師
 昭和55年       高野山真言宗別格本山篠栗四国
              総本山南蔵院住職に就任
 現在 福岡いのちの電話副理事長、福岡刑務所篤志面接委員
     アジア刑政財団評議員
 ※上記のプロフィールは、平成18年2月20日の状況です。

さて、それでは、感動の本の内容の紹介をいたします。




勉強よりももっとすばらしいもの

 私はある懸賞論文で、小松まり子さんという37歳のお母さんの作品を印象深く
 読まさせていただきました。この方のお子さんは、足が不自由な方でしたが、車椅子で
 小学校に通った六年間の間、お父さんお母さんは一度として車椅子を押されたことが
 なかったそうです。近所の子供たちが当番を決めて、六年間ずっと送り迎えをしてくれたそうです。
 
 そして、中学に入るとき、一緒に普通の中学校に行けると思ったら、教育委員会からの
 「お宅のお子さんは施設に入れて下さい」という指示がきたのです。そのとき、友達が
 猛反発をしました。署名運動までして、中学校の校長先生を動かして、同じ中学校に通う
 ことができました。

 三年間また当番を決めて友達が送り迎えをしてくれました。そして、小松さんの息子さんは
 体が弱いから欠席も多かったけれども、なんとか卒業までこぎつけました。ところが、
 風邪をひいて、晴れの卒業式に出られなくなってしまいました。そのときに「お母さん、
 小学校六年間、中学校を三年間支えてくれた友達に、僕、お礼が言いたい」と言って、
 朝、ベランダに出て卒業式に行く友達を見送りました。みんなが手を振って、「お前の分まで
 がんばってくるからな」と言って、卒業式に行きました。

 お父さんが早く帰って来て、家で親子三人で卒業のお祝いをする約束でした。昼ご飯どきに
 チャイムが鳴ったから、お母さんは、お父さんが早く帰って来たと思って飛んで行かれた。
 そしてら、そこに立っておられたのは卒業証書を持った校長先生と各学年の先生方と友達
 でした。そして、校長先生が「今から、お宅のお子さんの部屋で卒業式をいたいんですが、
 よろしいでしょうか」とおっしゃいました。車椅子の息子さんとお母さんを前にして校長先生が
 卒業証書を読まれ、各学年の先生たちが「よくがんばったね」と握手をしてくれました。

 友達が拍手で祝福してくれたときには、息子さんはうつむいて涙を流していました。
 「私たちは、先生や友達の顔をまともに見ることができませんでした。息子は三年間
 中学校で何を学んだかわかりませんが、優しさが人をすばらしい人間に変えていくと
 いうことを学んでくれたから、それだけで十分です。学校で習った勉強よりも、もっと
 すばらしいものをうちの子供は学んだ気がします。」と、その懸賞論文の中に書いて
 おられました。

 今はこういうものの大事さが、だんだん失われています。皆さんが一本のろうそくの
 ような人間になられて、回りの方を明るく照らしていきながら、そこから新しい人生を
 歩まれる。それが、私たちにとって今から必要になっていくのではなかろうかと思うのです。

 福岡にある中学校の話ですが、同級生が亡くなったとき、友達がお葬式に行こうとしたら、
 校長先生が「授業日数に影響するから行ったらいかん」と止められたそうです。
 これは新聞に報道された話で、その真偽はわかりませんが、困った友達は
 代表を亡くなった同級生の家に行かせて、お父さんお母さんにこうお願いしたそうです。

 「クラスのみんなで、〇〇君を送りたいので、どうぞ霊柩車を学校の正門に回して下さい」

 当日、霊柩車はルートを変えて、学校の正門前を通って行きました。クラスの仲間は
 みんなで同級生を見送ることができたました。
 私はこの話を聞いたとき、校長先生が本気で子供たちの申し出を断った、しかも授業
 日数を理由にして断ったとしたら、校長をやめてもらわなければならないと思いました。
 最初から責任逃れでしょう。「ああ、行ってこい。行って手を合わせて、みんなで天国に
 送ってあげよう」
 もし、校長先生に子供たちに対する本当の愛情があるならば、こう言ってあげるのが
 当然でしょう。

 「学校で習った勉強よりも、もっとすばらしいものをうちの子供は学んだ気がします」
 先の小松まり子さんの言葉のように、学校は子どもたちに対して勉強より大事な
 本当の愛情を教えてほしいものです。



 
 なんと言うのでしょうか・・・最近は学校が悪いとか、先生が悪いとか、はたまた教育が悪い、
 文部科学省が悪い・・・みたいな話にすぐなっちゃう気がしますが、昔を振りかってみると、
 素敵なクラスの仲間と言うか雰囲気があれば、いじめもおきないし、他人を思いやることもできる
 と思うんですよね~。そのきっかけって実は、ほんのささいな事で、クラスの中心になる
 人物が、優しい心や他人に対する思いやりがあれば、クラスは結束して、善の方向に進む
 気がします。その中心になる人物は、綺麗な女の子の場合もあるし、ガキ大将の場合もある。
 そんな人の世話を焼くのが好きな子供が減ってきたのでしょうかね~。

 でも、こんなエッセイを読むと、まだまだ捨てたもんじゃない気がしますし、子供は子供で、
 ちゃんと考えてるんだな~って気がします!頑張れ子供達!心ゆたかに生きるんだよ!

 実はまだまだ感動のエッセイが盛りだくさんですが、今日はここまでにします。

 その他の、林覚乗さんの記事も参照して下さいね。
 『しあわせを感じる喜び』
 『自分が好きですか①』
 『自分が好きですか②』

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  それではまた明日!
 
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『しあわせを感じる喜び』 ~ 林覚乗 ~ [林覚乗]

今日は林覚乗さん著書の『しあわせを感じる喜び』をご紹介致します。
※みなさまのおかげで、この記事は2000アクセスを超えました。(2009/05/16現在) ありがとうございます!

しあわせを感じる喜び








他の本は手に入れづらいのですが、この本は比較的容易に手に入れる事が出来ます。
さて、この本の中から、何個かご紹介致します。



お子さまランチ秘話
   私の知り合いの社長さんが、残業している部下の為にハンバーガーを大量に買った時、
   店員さんがこう聞いたと言います。
   「お持ち帰りですか、店内でお召し上がりになりますか?」 
   
   いつでしたか、春休みを利用して私の娘二人が出雲地方を旅行することになりました。
   航空券を私が手配してやりました。
   「林えみ 十五歳、林るり 十歳です。出雲までの片道をお願いします。」
   電話の向こうから女性の声で、
   「おタバコは吸われますか、吸われませんか?」

   徹底したマニュアルは、客に対して一定のサービスを保証します。でもそれは万能では
   ありません。マニュアルは最低限粗相をしないという枠組みであって、これに
   とらわれすぎると自分で考えるという行為がおろそかになってしまうでしょう。
   どんなに機械文明が進んでも、完璧なマニュアルがあっても、そこに魂がこもらなければ
   人間の行為とは言えません。
   何十個ものハンバーガーを一人で食べれるものかどうか、考えなくても分かりそうな
   ものです。十五歳と十歳がタバコを吸うかどうかも同様でしょう。

    私がお付き合い願っている山口県にお住まいの社長さんが、社内報に書いていた話です。
    東京ディズニーランドには、たくさんのマニュアルがあるそうです。
    ある時、若い夫婦がレストランに入り、注文を聞きに来たウエイトレスにお子様
   ランチを頼んだそうです。いい大人が2人、お子様ランチというのも異なものです。
   一瞬耳を疑ったウエイトレスは、即座にお子様ランチは8歳までの子供に限られて
   いることを説明しました。マニュアル通りです。
    と、二人は悲しい表情をしてこう言ったそうです。
   「私たちの幼い子が先ごろ病死しました。子供が好きだったディズニーランドで、
   これも好きだったお子様ランチを食べさせたいと思ったのですから・・・」
   ウエイトレスは、「しばらくお待ち下さい」と言って奥に入りました。
   そして戻ってくると、「喜んでお引き受けいたします」と明るく言ったそうです。
    どんな時でもマニュアルに従わなければならないということはありません。
   マニュアルをどう使いこなすか、つまりはいかに心を込めるかということで、
   マニュアルが生きてくるということなのです。

 さてこれには、続きがあって・・・
 (続きはメンタルヘルス協会の衛藤さんが書いてます)

    この出来事に感動した若い夫婦は、帰宅後に手紙を書きました。「お子様ランチを食べ
   ながら涙が止まりませんでした。まるで娘が生きているように家族の団らんを
   味わいました。こんな娘との家族団らんの体験を東京ディズニーランドでさせて
   いただくとは、夢にも思いませんでした。これから、二人で涙をふいて生きてゆきます。
   また、二周忌、三周忌に娘を連れてディズニーランドに必ず行きます。そして、
   私たちは話し合いました。今度はこの子の妹か弟かを連れてきっと遊びにゆきます」と
   いう手紙が東京ディズニーランドには連日届けられます。

    それはすぐに張り出され、コピーされ、舞台裏で出演の準備をするキャストに配られます。
    舞台裏ではキャストとして働いている多くの男女の若者が共感して泣くそうです。
    でも、しばらくして先輩が号令をかけます。「涙はここ(舞台裏)まで、パーク内では涙は禁物。
   今日も日本中いや世界中の人が、ここディズニーランドに感動を求めて来ています。
   今日はどんなドラマを誰が創るのかな?それでは、みんな笑顔で準備を!」と。

と言う感動的な話です。
 続けてもう1話

   
   「あと一ミリお詰め下さい!」
     東京の知人から聞いた話です。
     朝のラッシュアワーのバスです。どうしても手前の乗車口から中央出口までに
    客が集中してしまいます。中央から後方はかなり空いているのですが。客同士が
    もう少し協力しあったら、あと十人は乗れるでしょう。
    「もう1歩ずつ奥に入ってください」
     少し効果がありました。三人は余分に乗れたでしょうか。しかしある運転手さんは
   
 こう言ったのです。
     「あと一ミリずつで結構です。乗れない方のために詰めて頂けませんか」
    効果は抜群でした。客はどっと笑いながら、一歩二歩後方に詰めました。
    十人以上余分に乗れたのではないかと思います。

     一ミリとはユーモアだったのでしょうか、あるいは単に運転手さんの切実な思い
    からだったのでしょうか、それは分かりません、結果としてこの小さなユーモアは
    功を奏しました。

     ~ (中略) ~ 

     また、こんな話もあります。ある保険会社の社長さんでしたか、だいぶ昔に
    聞いた話です。
     セールスマン一人の百歩前進より、百人が一歩ずつ進むことのほうを大切に
    したいと言うのです。社員全員のレベルを底上げしたほうが、結果的に同じ数字
    であっても経営というものを考えるとそのほうが大切なのでしょう。つまり一人の
    エースがいるより、平均点以上の社員が百人いるほうが将来は明るいという
    わけです。
     今、世の中で最も欠けているのは、やさしさであると思っています。世の中に輝く
    ような明るさのないのも、その為であるに違いありません。
     「百人の一歩」の伝で言えば、わずか一ミリでもいい、小さなやさしさを心がけたいもの
    です。人によって一ミリのあり方は違ってきましょう。あなたのほんの一瞬の笑顔が一ミリに
    値することもあります。「ありがとう」「すみません」の一言が、その一ミリかも知れません。
     一歩進めというのは贅沢というもの。ほんのわずか爪先をにじり出すだけ、あるいは
    体を前に傾けるだけ、つまり気持ちがありさえすれば、それが一ミリ単位になるのです。
     一人一ミリのやさしさが、千人で一メートルのやさしさになります。一人で一メートル
    進むよりは、千人で一メートル進む方が社会は健全に動きます。これが世の中を変える
    力となります。


   今日は2本紹介しました。素敵な本だと思いませんか?
  この他にも素敵なお話が盛り沢山です。
  たまにはこんな、心が洗われる本を読む余裕も必要ですよね~。
  コーチングは人を育てる技術と思われがちですが、人を育てる為には、
  まず自分がやさしくならないといけませんよね~。
   自分の事を見つめ、自分の事を知り、他人にやさしく出来る事、感謝の心、
  まずこれらを身につけないと、コーチングだけを勉強しても何の意味も
  持たないのではないでしょうか?
   
    よ~し まだまだ磨き続けますよ~。  

  こんな素敵な本に出合えた事に感謝 ありがとう!

  南蔵院の林覚乗和尚の他の記事はこちらです → カテゴリー林覚乗

    ※2009/05/16追記 この記事は本当にたくさんの方にアクセス頂いております。
    本当にありがとうございます。
    もしよろしければ、一言感想をコメントに記述して頂ければ幸いです。
    「面白かったです」とか「素敵な話でした」とかでも結構です。
    よろしくお願いいたします。

  




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『自分が好きですか』② ~ 林 覚乗 ~  [林覚乗]

昨日の続き、『自分が好きですか』からです。
ちなみに前日の記事 http://blog.so-net.ne.jp/RONRON/2007-07-21

自分が好きですか

 23.祈りとは己が強さを願うこと
  
   一月一日の初日の出を拝む人はたくさんいますが、十二月三十一日の夕日に手を
  合わせる人はいません。感謝することより、要求する祈りばかりです。
   では、本来、祈りとはどういうものなのでしょうか。それを最後に考えたいと思います。
   「生老病死」という言葉があります。
   それぞれ個別に考える傾向にありますが、これは生きて、老い、病におかされ、
  死に至るという一つの人生の流れなのです。生、老、病、死、それぞれが深くかかわり
  あって、ひとりの人生があるのではないでしょうか。
  
   老いの中にも生はあるし、死もあります。病の中にも生も死もある。
   そして、このような苦しみに出合うと、ひとは祈ります。病気になれば
  「病が治るように」と・・・新興宗教に、はしる気持ちや占いに頼る気持ちも同じものです。
   話は少し逸れますが、新興宗教が台頭してきたことに関しては、私たち既成宗教に
  生きている者の怠慢が問われているのではないかと思います。
  
   仏教界も、集団が大きくなるほど、権威が高く、権力志向になっていきます。
  目まぐるしく変わっていく世の中の動きとは対照的に、柔軟性はどんどん失われ、
  本当に頼りにしたいと思うときには、硬直化して対応出来なくなっています。そうして、
  既成宗教に失望した人々は、新興宗教や占いなど、安易に飛び込めるところに、
  いってしまうようになるのです。
   今こそ、既成宗教に生きている我々が、人々に、もっともっと語りかけていく姿勢が
  必要なのではありませんか。

   さて、話を元に戻しますが、祈るということは、本来は苦痛を取り除くものでは
  ありません。苦痛に立ち向かう強さを身につけたい、と願う事なのです。
   と同時に、常に他人に対する思いやりを含むものであるべきです。
   例えば、子供のことを祈るとき、「あの学校に入学しますように」とか「この職業に
  つけますように」などと願う事は構わないのですが、その立場になったときに、
  どういう役割で、社会に還元できるかを考えたものであることです。

   宗教教育は、現在、学校ではなかなかできませんし、また、学校に任せるものでも
  ありません。家庭で行われるものです。日常生活の中で、お父さんお母さんが祈る姿を
  子供に見せてあげる・・・それだけでいいのです。こうして、幼いころに培まれたものは、
  終生残るはずなのです。
   心というのは、おじいちゃん、おばあちゃんになっても、年を取らない素晴らしい
  ものです。どんな境遇にあろうと、どんな立場にあろうと、心だけは変わりません。
   ひとりひとりが美しい花。誰もが、この世に生まれてきて良かった、咲いててよかった、
  といった一生を終えてもらいたいものです。
   
   こんな世の中なら、生まれてこない方が良かった、寂しい日々だった、そんな暗い心を
  もって、一度きりの人生を過ごして欲しくはありません。

   いつも心の中に、「幸せ」を抱けるひと
   自分を好きでいられるひと


  そんな本当の意味で強いひとになってもらうために、宗教はあるのです。


  
  とても素敵なエッセイではないですか?確かに、私も以前は、お盆なのでお墓参りをした時に、
 祈りと言うより、お願いをしていた気がします。
 この本を読んでからは、お願いをやめて、近況報告とその年への感謝を、祈る様にしてきました。
 また、この本全般的な感想しては、出会いの大切さ、人に対するやさしさ、
 そして自分を好きになると言う事を、見直す良いきっかけになりました。林さんの本は、
 この他に「心ゆたかに生きる」「しあわせを感じる喜び」があり、講演会DVDは
 「心ゆたかに生きる」「であい」「おかげさま」の3本があります。「しあわせを感じる喜び」は
 昨日から、読み始めたばかりですので、読み終わったらまた、ここに書かせて頂きます。
 講演会のDVDなんか、家族や親戚が集まった時や、会社の仲間なでで、一緒に見ると、
 素敵な変化が起こりますよ~。
 購入は、南蔵院のHomePageからどうぞ!http://www.nanzoin.com/
 
 このブログを最後まで読んで頂き有難うございます。
 世の中に何万とあるブログの中から、たまたまこのページにたどり着いたのは、
 偶然ではなく必然ではないでしょうか?これぞまさにシンクロニシティです。
 シンクロニシティと感じた時、その本当の意味を自分自身に問いかけるか
 どうかが大きな違いです。
 これを期に、何か行動を起こしてくれる事を応援します。

 また
 林覚乗さんの 続編は・・・ http://blog.so-net.ne.jp/RONRON/2007-07-24

   


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