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『感動を与えて逝った12人の物語』 ~大津秀一~ [大津秀一]


 死生観を養う

 五万部突破!話題の書
 『死ぬときに後悔すること25』の著者が
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感動を与えて逝った12人の物語―1000人の死を見届けた医師が書いた

感動を与えて逝った12人の物語―1000人の死を見届けた医師が書いた

  • 作者: 大津 秀一
  • 出版社/メーカー: 致知出版社
  • 発売日: 2009/10
  • メディア: 単行本



<著者のプロフィール>
 大津秀一(おおつ しゅういち)
 1976年生まれ。茨城県出身。
 岐阜大学医学部卒業。緩和医療医。
 日本消化器病学会専門医、日本内科学会認定内科医、
 日本尊厳死協会リビングウイル(LW)受容協力医師、
 2006年度笹川医学医療研究財団ホスピス緩和ケアドクター養成コース修了。
 内科専門研修後、日本最年少のホスピス医(当時)として京都市左京区の
 日本バプテスト病院ホスピスに勤務したのち、平成20年5月より
 東京都世田谷区の松原アーバンクリニックに勤務し、
 入院・在宅(往診)双方でがん患者・非がん患者を問わない
 終末期医療の実践を行っている。
 現在多数の終末期患者の診療に携わる一方、著述・講演活動を通じて
 緩和医療や死生観の問題等について広く一般に問いかけを続けている


<その他の著書>
 『死ぬときに後悔すること25』
 『終末期患者からの3つのメッセージ』
 『死ぬときに人はどうなる10の質問』
 『余命半年 満ち足りた人生の終わり方』
 『死ぬときに後悔しない医療』
 『死学 安らかな終末を、緩和医療のすすめ』
 『Dr.大津の世界イチ簡単な緩和医療の本』
 『瀕死(ひんし)の医療 患者は病院とどうつきあい、どう生きればいいか』


<著者のHomePage等>
 大津秀一オフィシャルブログ「医療の一隅と、人の生を照らす」


<この本との出会い>
 大津先生の作品は前作『死ぬときに後悔すること25』続き2作目です。


<本の構成>

 はじめに
 エピソード1 先生、あやまっちゃダメよ
 エピソード2 若い医者の勉強になるんだったらこの身は惜しくない
 エピソード3 先生も一度来てみてください
 エピソード4 幸せ、……幸せ
 エピソード5 Kより先を歩いた男 仕事人の心意気
 エピソード6 病棟の小野小町 人生はまさに大木の如し
 エピソード7 二月の散った命
 エピソード8 二つの昭和を生きた女
 エピソード9 一番を目指した男 ホスピスの三宝
 エピソード10 新しい記憶をつくった女
 エピソード11 息子は幸せ者です
 おわりに ― 12人目はあなたの物語

 ページ数 232ページ
 読書時間 3時間


<以前紹介した著書>
 『死ぬときに後悔すること25』


<関連動画>
 『死ぬときに後悔すること【大津秀一×辻川泰史】』



<関連記事>
 なし





<本文からのご紹介>

 はじめに


 彼女の訃報を聞いたのは、母からの電話だった。
 十月の夜、外は雨がしとしとと降っていた。

 彼女は中学の時の友達だった。
 人一倍感受性豊かな彼女は、その頃から音楽の才覚を示していた。
 僕が文章を書いている隣の机で、彼女は好きなアーティストのスコアを広げていた。
 彼女の弾くピアノは、僕のそれより数段透きとおって響き、才能の違いをまざまざ
 と見せつけてくれたものだ。
 ふっくらとした体、優しげだけれど、奥に芸術家特有の燃えたぎる情熱を表した瞳。
 僕はよく彼女と音楽について語り合ったものだ。音楽について話していると、ほら、
 彼女の瞳に光が宿り、まるでいつもの優等生とは別人のようになる。美しく乱れる。
 僕と彼女は似た部分があった。一本木で、人一倍繊細な心。彼女の夢は、美しい曲を
 書くこと。僕の夢は……その時はまだはっきりと決まっていなかった。しっかりと
 未来を見据えている彼女の姿は、僕の一歩先を歩んでいるようで、僕は尊敬を覚えていた。
 あっと言う間に三年が過ぎて、僕たちは母校に咲く桜の下、旅立っていった。卒業して
 彼女とはそれっきりで会うことはなかった。けれども誰もが、いつか、歳をとって再会
 すると思っていた。それぞれが、それぞれの辿ってきた道を語り合う日が、普通に来ると
 思っていた。
 そんな彼女は音大に進んだ。音大に進んだ彼女は、音楽の制作の道を選んだ。
 彼女の夢は叶った。

 運命は、しかし、時に過酷な歯車を強いる。僕たちが二十八歳の時、突然、彼女の母が
 事故死した。
 葬式に、僕の母も出席した。彼女はとても傷心のように見えたが、しかし、毅然とした
 態度を崩さなかったらしい。
 かつてのふくよかな少女は、すらりとした美しい大人の女性に成長していた。物腰は
 穏やかで、生真面目すぎるほどの姿は、かつての優等生の姿を彷彿とさせるものだった。
 その彼女は、しかし二月、母のあとを追った……。

 その便りを僕が耳にしたのは、八か月が過ぎた十月だった。その電話を聞いて、
 僕は絶句した。
 かつて机を並べて、夢を語り合った少女が、孤独の中に死んでいくことになるとは
 誰が予想しただろう。僕は彼女に何もできなかったことを悔やんだ。そしていつか
 立派な大人になって再会するという淡い夢は、永遠に叶えられなくなってしまった。

 「自らを、あるいは自らの心を、殺さないでください」

 僕は本気で言う。だって、人は誰しも寿命がやって来るものなのだから。
 どんなにつらくて、どんなにどん底でも、いつか朝は来る。寿命を使い切った死なら、
 それはけっして悲しくはない。けれど、自ら断ち切ってしまっては、残された者は…。

 僕は、死にたい人、生きるのに疲れた人に、生きることを諦めないでほしい、
 そう思ってこの本を書く。パンドラの箱と同じように、最後に残っているのは、
 いつでも希望なんだ。

 生きるってなんだろう?
 人はどこから来て、どこへ行くのだろう?
 私とはいったい何者なのか?

 人間はいつでも悩みとともに生きている。一生を通して、「人間」とは何か、
 それを悩む機会は多々あるに違いない。しかし、それに答えを出すのはなかなか
 難しいものである。

 僕は医師になった。すでに数百人以上の臨終に立ち会わせてもらった。彼らの死を
 前にした姿、そこから僕は日々学ばせてもらっている。死んでいった彼らとて、
 今に生きる僕たちと同じように日々悩み、「生き方」についておのおのの答えを
 出そうとしていた。彼らの生きざま、彼らのもつ魂は、一度書き残す必要があると
 常々考えていた。
 現代社会に蔓延する魂の荒廃は、目を覆うばかりとなってしまった。偉大なる
 名もなき先人たちの姿から、私たちは謙虚に学び、これからの日本の精神を
 素晴らしいものにしていく義務があると思う。
 僕に忘れがたき刻印を残してくれた、愛すべきそして偉大な、名もなき患者さん
 たちのエピソードを記し、皆さんと「生」とは何か、「死」とは何か、について
 考えていこうと思う。
 「僕は医師になった。そして、もう、一人もみじめに死なせない、そう思っている。
 君と同じように、孤独の中で、人を死なせるのは、もうたくさんなんだ」



 『感動を与えて逝った12人の物語』 P1~6より



 
 大津先生はまだ34歳の若さで1000人の死を見届けた緩和医療医です。
 そんな緩和医療医である、大津先生がホスピス等で出会い、そして見送った
 患者さんたちとの思い出、気づきを12個のエピソードとして紹介しているのが
 本作品です。以前紹介した『死ぬときに後悔すること25』はテレビ番組の
 エチカの鏡でも紹介され、固い話題の本なのに五万部を突破したそうです。
 日本人はその国民性ゆえか、あまり死に関する教育が不足していると感じて
 おりました。しかし、映画の「おくりびと」が話題になり、少しずつ死生観と
 言いますかデスエディケーションにも興味が出てきたのかと感じております。
 大津先生は、あとがきで、”「日本人のモラルの低下」で改善すべきは、
 死生観と人生観、そして道徳心である”と書かれております。
 まさしく、その死生観と道徳心は、こんな名もなき神の12個のエピソードを
 読むことにより感じ成長することが出来るのではないでしょうか。
 1エピソードは約20~30ページで、そんなに長くはないのでじっくり時間を
 かけて読むことができます。時には死生観を養ってみてはいかがですか?





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RONRON

Simpleさん いつもNiceありがとうございます^^
by RONRON (2010-12-04 12:36) 

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