『すごいぞ日本』 ~産経新聞「すごいぞ日本」取材班~ [「ドキュメンタリー系」]
最先端を走る各種技術、圧倒的な伝統、真似のできない職人の技、世界へ広がる和食やアニメ・・・
これ程の潜在力を持つ国が他にあろうか?
「やばいぞ日本」に続く、産経新聞大型連載「すごいぞ日本」書籍化!
<著者のご紹介>
この本は、産経新聞紙上に2008年3月から2009年3月まで掲載された連載、
「すごいぞ日本」を加筆・修正、再構成したものです。
なお、内容や登場する人物の肩書き等は基本的に連載時当時のものです。
※写真と本文記事は左記HomePageからの掲載です。 → 産経ニュースのすごいぞ日本
<この本との出会い>
以前読んだ「やばいぞ日本」からのつながりです。
<本文からのご紹介>
大好き! マージドの給水車
このイラクの子供たちの笑顔をみていただきたい。つぶらな瞳、少しはにかんだ愛くるしい表情。
2005年春、外務省サマワ連絡事務所に勤務していた江端康行さん(39)=現・在米日本大使館
2等書記官=がサマワで給水車を追いかけている子供たちを撮ったものだ。
うれしそうに見えるのは後ろの給水車に理由がある。日の丸とイラク国旗がみえる。
日本の政府開発援助(ODA)による。ユーフラテス川の汚れた水を陸上自衛隊が浄水する。
それを給水する仕組みを外務省が整えて、おいしい水を飲めるようになった。
ただ、給水車を追いかける理由は少し違う。
大好きな「キャプテン・マージド」のシールが張られているからだ。マージドとは、「砂漠のペレ」と
呼ばれたサウジアラビアの伝説のプレーヤー、マージド・アブドウラー選手を指す。
この名前を冠したテレビアニメ「キャプテン・マージド」は中東で爆発的な人気を得た。
だが、その正体は日本の「キャプテン翼」である。27年前、週刊少年ジャンプで連載が始まった
サッカー少年「大空翼」の成長物語だ。世界で放映され、フランスのジダンやイタリアのトッティも
「翼」にあこがれてサッカーを始めた。
夢と希望を運ぶ「翼」をサマワの子供たちの身近な存在にできないか-。江端さんがこう考え、
2004年秋に日本人の力を結集して実現したのが、この「翼」大作戦である。サマワ近くの
評議会議員は「子供たちは3日も前からマージドの給水車が来るのを楽しみにしているよ」と
声をかけてきた。江端さんは写真を撮った子供たちを思い浮かべながら雑誌「外交フォーラム」に
こう綴った。
「どの笑顔も輝いていた。その姿にとても勇気付けられ、日本人として誇らしく感じた」
このことに強い関心を示したのはジョン・D・ネグロポンテ米国務副長官だった。国務省日本部の
担当官が「おもしろい日本人がいる」と持ってきた「外交フォーラム」英語版に目を通したからだった。
2004年4月から9カ月間、イラク戦争後、初の駐イラク大使として、民心掌握と治安維持に辛酸を
なめた副長官にとって、江端さんの行動は心に訴えるなにかがあったのだろう。
今年1月31日、副長官はニューヨークでこう演説した。
「私は南部イラクにおける日米の歴史的な2国間協力を極めて高く評価しています。
2004年から2006年まで日本の自衛隊と外務省が駐在したサマワが、現在イラクで最も安定した
地域の一つであることをうれしく思います。この地域の何万というイラクの男性、女性、子供たちが
日本の重要な支援によって、よりよい生活を送っています。サマワに駐在した日本の外交官が
自らの仕事を『日本人として誇りに思う』と記したように、すべての日本人は、日本の貢献がイラクの
民主化と安定を作り出したことを誇りにすべきでしょう」
同じ雑誌を読んだ国務省の中東担当官は江端さんにこんな手紙を送った。
「とても共感できた。血の通った支援は自らの安全に役立つ。住民の目線という立場を米国も
見習わなければならない」
江端さんに最近、うれしい知らせが舞い込んだ。「翼」のシールを張った給水車26台すべてが
4年後の今も、1枚もはがれることなく、現地を走り回っているというイラク人スタッフからの報告だった。
日本版「軍民協力」のすごさを報告する。
子供をわくわくさせたい
現在、在米日本大使館書記官の江端康行さん(39)が2004年5月、自ら志願してイラク・サマワ
入りしたのは、ある覚悟があったからだ。
その半年前の11月、奥克彦大使(45)=当時=と井ノ上正盛1等書記官(30)=同=がイラクで
殺害され、翌12月、東京・青山葬儀所で合同葬が営まれた。参列した江端さんが見たのは、
井ノ上氏の2歳の長男、鼓太郎ちゃんが夫人の幸乃さん(30)=同=の傍らで、にこにこと
笑っている姿だった。
鼓太郎ちゃんが生まれる少し前のことだ。アフリカ・チュニジア大使館に勤務していた井ノ上氏は
「もうすぐ、初めての子供が生まれるんだ」と、出張に訪れた江端さんにうれしそうに語っていた。
それからヨルダン、さらにイラクの日本大使館に移った井ノ上氏は「イラク国民の幸福を願い
活動している」旨の手紙を、家族に送っていた。
江端さんは合同葬でこう心に誓った。「誰かが遺志を継がなければダメだ」
イラクへのこだわりもあった。1990年秋、イラクがクウェートに侵攻して間もないころ、
ハーバード大学に留学していた。国際法講座で湾岸危機が取り上げられ、江端さんは
日本政府による90億ドルの戦費支援(最終的には130億ドル)を説明した。だが、約20人の級友は
「金を出せばよいという対応は不誠実だ」「傍観しているだけでは国際社会の責任を果たせない」と
厳しく批判した。
「あれほど日本人として情けない思いをしたことはなかった。あの時の借りを返したい」。
こんな思いを実現するときがようやく巡ってきた。
初めて目にしたサマワは「無表情でざらついた町」だった。下水やゴミは悪臭を放ち、住民の多くは
緑色に汚れたユーフラテス川の水に依存していた。そこはスンニ派主導のフセイン政権に見捨てられた
シーア派の町だった。
直前まで外務省中・東欧課に勤務していた江端さんにとって、サマワの生活は経験したことのない
過酷なものだった。
夏は50度以上、直射日光下では60度を超える。
寝泊まりする陸上自衛隊宿営地は夜間、迫撃砲やロケット砲で攻撃された。空気を切り裂く飛翔音や
爆発の衝撃に慣れるのは容易ではなかった。
江端さんは疲労困憊していた。そんなころ、共に働く外務省サマワ連絡事務所のイラク人スタッフ、
アリ・ムヒさん(31)=現在・山梨大学医学部学生=が、江端さんの子供たちに手紙を書いた。
「サマワ市民を代表して手紙を書きます。君たちのお父さんはサマワの復興のために努力して
くれています。君たちも将来、お父さんのような勇敢で勤勉で誠実で賢い人になってください。
これをサマワの人々の感謝の印として受け取ってくれたら光栄です」
江端さんはくじけそうになるとき、この手紙を見ながら、子供たちや妻に恥ずかしくない仕事を
しなければ、と気合を入れた。
疲れを吹き飛ばしてくれたのは「ヤーバーニー(日本人)、シュクラン(ありがとう)」と、
日本の車に笑顔で手を振る子供たちだった。「この子供たちがわくわくするようなことをできないか」。
目に焼き付いたのは、炎天下の砂漠でサッカーボールを黙々とけっている子供たちの姿だった。
「キャプテン翼」作戦の始まりである。
まさにタイトル負けしていない素晴らしい内容です。『すごいぞ日本』は前作『やばいぞ日本』シリーズ
からの連載企画で、”やばいぞ”の指摘と正反対の”すごいぞ”を集めた内容となっております。
その掲載内容も多岐に渡り、町工場、ロボット工学、植林事業、商社の再生、食文化、長寿企業、
本文のご紹介に掲載した政府開発援助、カメラマン、ノーベル賞、スポーツとどれを読んでも元気になる、
とても素敵な内容です。本文からはイラクのサマワで行われた、政府開発援助(ODA)の活動に
関して掲載してみました。これは全5編から構成されておりますが、今回は2編掲載しております。
サマワでの給水活動にこんな素敵な物語が隠されていたとは全然知りませんでした。
しかもキャプテン翼がこの給水活動に一役を担っていて、それがとても素晴らしい効果を果たしている
とは・・・。シールは大日本印刷が最高の技術で提供し、キャプテン翼のライセンスも集英社が
特例で許可を出したなど熱い思いがその裏には隠されているのです。
続きは是非とも産経ニュースのPageに掲載されておりますので読んでみてください。
やはり前作の「やばいぞ日本」の感想にも記述しましたが、日本が行っているODAやPKOの内容に
関しては我々はもっと興味を示すべきですね。是非ともマスコミを積極的に取り上げていって欲しい
ものです。この他にもまだまだ、日本人のすごいところが盛りだくさんです。
時にはこんな本を読み、自分が日本人だと言うことを認識するのも良いのかと思います。
これ程の潜在力を持つ国が他にあろうか?
「やばいぞ日本」に続く、産経新聞大型連載「すごいぞ日本」書籍化!
<著者のご紹介>
この本は、産経新聞紙上に2008年3月から2009年3月まで掲載された連載、
「すごいぞ日本」を加筆・修正、再構成したものです。
なお、内容や登場する人物の肩書き等は基本的に連載時当時のものです。
※写真と本文記事は左記HomePageからの掲載です。 → 産経ニュースのすごいぞ日本
<この本との出会い>
以前読んだ「やばいぞ日本」からのつながりです。
<本文からのご紹介>
大好き! マージドの給水車
このイラクの子供たちの笑顔をみていただきたい。つぶらな瞳、少しはにかんだ愛くるしい表情。
2005年春、外務省サマワ連絡事務所に勤務していた江端康行さん(39)=現・在米日本大使館
2等書記官=がサマワで給水車を追いかけている子供たちを撮ったものだ。
うれしそうに見えるのは後ろの給水車に理由がある。日の丸とイラク国旗がみえる。
日本の政府開発援助(ODA)による。ユーフラテス川の汚れた水を陸上自衛隊が浄水する。
それを給水する仕組みを外務省が整えて、おいしい水を飲めるようになった。
ただ、給水車を追いかける理由は少し違う。
大好きな「キャプテン・マージド」のシールが張られているからだ。マージドとは、「砂漠のペレ」と
呼ばれたサウジアラビアの伝説のプレーヤー、マージド・アブドウラー選手を指す。
この名前を冠したテレビアニメ「キャプテン・マージド」は中東で爆発的な人気を得た。
だが、その正体は日本の「キャプテン翼」である。27年前、週刊少年ジャンプで連載が始まった
サッカー少年「大空翼」の成長物語だ。世界で放映され、フランスのジダンやイタリアのトッティも
「翼」にあこがれてサッカーを始めた。
夢と希望を運ぶ「翼」をサマワの子供たちの身近な存在にできないか-。江端さんがこう考え、
2004年秋に日本人の力を結集して実現したのが、この「翼」大作戦である。サマワ近くの
評議会議員は「子供たちは3日も前からマージドの給水車が来るのを楽しみにしているよ」と
声をかけてきた。江端さんは写真を撮った子供たちを思い浮かべながら雑誌「外交フォーラム」に
こう綴った。
「どの笑顔も輝いていた。その姿にとても勇気付けられ、日本人として誇らしく感じた」
このことに強い関心を示したのはジョン・D・ネグロポンテ米国務副長官だった。国務省日本部の
担当官が「おもしろい日本人がいる」と持ってきた「外交フォーラム」英語版に目を通したからだった。
2004年4月から9カ月間、イラク戦争後、初の駐イラク大使として、民心掌握と治安維持に辛酸を
なめた副長官にとって、江端さんの行動は心に訴えるなにかがあったのだろう。
今年1月31日、副長官はニューヨークでこう演説した。
「私は南部イラクにおける日米の歴史的な2国間協力を極めて高く評価しています。
2004年から2006年まで日本の自衛隊と外務省が駐在したサマワが、現在イラクで最も安定した
地域の一つであることをうれしく思います。この地域の何万というイラクの男性、女性、子供たちが
日本の重要な支援によって、よりよい生活を送っています。サマワに駐在した日本の外交官が
自らの仕事を『日本人として誇りに思う』と記したように、すべての日本人は、日本の貢献がイラクの
民主化と安定を作り出したことを誇りにすべきでしょう」
同じ雑誌を読んだ国務省の中東担当官は江端さんにこんな手紙を送った。
「とても共感できた。血の通った支援は自らの安全に役立つ。住民の目線という立場を米国も
見習わなければならない」
江端さんに最近、うれしい知らせが舞い込んだ。「翼」のシールを張った給水車26台すべてが
4年後の今も、1枚もはがれることなく、現地を走り回っているというイラク人スタッフからの報告だった。
日本版「軍民協力」のすごさを報告する。
子供をわくわくさせたい
現在、在米日本大使館書記官の江端康行さん(39)が2004年5月、自ら志願してイラク・サマワ
入りしたのは、ある覚悟があったからだ。
その半年前の11月、奥克彦大使(45)=当時=と井ノ上正盛1等書記官(30)=同=がイラクで
殺害され、翌12月、東京・青山葬儀所で合同葬が営まれた。参列した江端さんが見たのは、
井ノ上氏の2歳の長男、鼓太郎ちゃんが夫人の幸乃さん(30)=同=の傍らで、にこにこと
笑っている姿だった。
鼓太郎ちゃんが生まれる少し前のことだ。アフリカ・チュニジア大使館に勤務していた井ノ上氏は
「もうすぐ、初めての子供が生まれるんだ」と、出張に訪れた江端さんにうれしそうに語っていた。
それからヨルダン、さらにイラクの日本大使館に移った井ノ上氏は「イラク国民の幸福を願い
活動している」旨の手紙を、家族に送っていた。
江端さんは合同葬でこう心に誓った。「誰かが遺志を継がなければダメだ」
イラクへのこだわりもあった。1990年秋、イラクがクウェートに侵攻して間もないころ、
ハーバード大学に留学していた。国際法講座で湾岸危機が取り上げられ、江端さんは
日本政府による90億ドルの戦費支援(最終的には130億ドル)を説明した。だが、約20人の級友は
「金を出せばよいという対応は不誠実だ」「傍観しているだけでは国際社会の責任を果たせない」と
厳しく批判した。
「あれほど日本人として情けない思いをしたことはなかった。あの時の借りを返したい」。
こんな思いを実現するときがようやく巡ってきた。
初めて目にしたサマワは「無表情でざらついた町」だった。下水やゴミは悪臭を放ち、住民の多くは
緑色に汚れたユーフラテス川の水に依存していた。そこはスンニ派主導のフセイン政権に見捨てられた
シーア派の町だった。
直前まで外務省中・東欧課に勤務していた江端さんにとって、サマワの生活は経験したことのない
過酷なものだった。
夏は50度以上、直射日光下では60度を超える。
寝泊まりする陸上自衛隊宿営地は夜間、迫撃砲やロケット砲で攻撃された。空気を切り裂く飛翔音や
爆発の衝撃に慣れるのは容易ではなかった。
江端さんは疲労困憊していた。そんなころ、共に働く外務省サマワ連絡事務所のイラク人スタッフ、
アリ・ムヒさん(31)=現在・山梨大学医学部学生=が、江端さんの子供たちに手紙を書いた。
「サマワ市民を代表して手紙を書きます。君たちのお父さんはサマワの復興のために努力して
くれています。君たちも将来、お父さんのような勇敢で勤勉で誠実で賢い人になってください。
これをサマワの人々の感謝の印として受け取ってくれたら光栄です」
江端さんはくじけそうになるとき、この手紙を見ながら、子供たちや妻に恥ずかしくない仕事を
しなければ、と気合を入れた。
疲れを吹き飛ばしてくれたのは「ヤーバーニー(日本人)、シュクラン(ありがとう)」と、
日本の車に笑顔で手を振る子供たちだった。「この子供たちがわくわくするようなことをできないか」。
目に焼き付いたのは、炎天下の砂漠でサッカーボールを黙々とけっている子供たちの姿だった。
「キャプテン翼」作戦の始まりである。
まさにタイトル負けしていない素晴らしい内容です。『すごいぞ日本』は前作『やばいぞ日本』シリーズ
からの連載企画で、”やばいぞ”の指摘と正反対の”すごいぞ”を集めた内容となっております。
その掲載内容も多岐に渡り、町工場、ロボット工学、植林事業、商社の再生、食文化、長寿企業、
本文のご紹介に掲載した政府開発援助、カメラマン、ノーベル賞、スポーツとどれを読んでも元気になる、
とても素敵な内容です。本文からはイラクのサマワで行われた、政府開発援助(ODA)の活動に
関して掲載してみました。これは全5編から構成されておりますが、今回は2編掲載しております。
サマワでの給水活動にこんな素敵な物語が隠されていたとは全然知りませんでした。
しかもキャプテン翼がこの給水活動に一役を担っていて、それがとても素晴らしい効果を果たしている
とは・・・。シールは大日本印刷が最高の技術で提供し、キャプテン翼のライセンスも集英社が
特例で許可を出したなど熱い思いがその裏には隠されているのです。
続きは是非とも産経ニュースのPageに掲載されておりますので読んでみてください。
やはり前作の「やばいぞ日本」の感想にも記述しましたが、日本が行っているODAやPKOの内容に
関しては我々はもっと興味を示すべきですね。是非ともマスコミを積極的に取り上げていって欲しい
ものです。この他にもまだまだ、日本人のすごいところが盛りだくさんです。
時にはこんな本を読み、自分が日本人だと言うことを認識するのも良いのかと思います。
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