『小さな人生論2』 ~藤尾秀昭~ [藤尾秀昭]
いま、いちばん読まれている「人生論」 大好評シリーズ珠玉の第2作
<本文からご紹介>
運命をひらく
過日、古い友人に頼まれ、ある大学で学生に話す機会があった。
教授に伴われて教室に入った途端、唖然とした。百人ほど入れる教室。前方はほとんど空席で、五十人ほどが後方に固まっている。それをジュースを飲んだり食べ物を頬張ったり。教授の姿を認めても様子に変化はない。挨拶するでもなし、私語がとめどもない。
正直、これが大学生かと思った。そこには授業に向かう緊張感も講義に対する好奇心も、いささかも感じられない。どんよりした倦怠感が漂うばかりである。
まず前方の席に詰めてもらった。きびきび移る学生は一人もいない。口にこそ出さないが、迷惑げな気配がありありである。若者たちがよく口にする「かったるい」とはこのことかと思った。
その時点で、準備していったすべてを話すことは放棄した。話題を絞り、質問を発し、感想文を書いてもらい、拙いなりに関心を引くように努めて一時間半の責任を果たした。
帰途、電車の中で彼らの感想文を読んだ。おや、と思った。当方の伝えたかったことをそれぞれが真剣に受け止めていた。教室をおおっていた倦怠感とこの感想文の落差は意外だった。
思うに、彼らも立派な感受性を備えているのだと思う。ただ、心をコップに例えれば、心のコップがきちんと立っていないのだ。心のコップが倒れたり引っくり返ったりしていては、いくら水を注いでもこぼれるばかりである。彼らは心のコップが立たないまま、二十歳近くまで人生を歩んでしまったのではないか。焦点の定まらない生き方を心から惜しいと思った。
運命とは定まっているものではない。自ら運び、ひらいていくものである。そのためには心のコップを立てなければならない。それをなすのが教育である。教育はコップを立てることから始まるといっても過言ではない。
まず心のコップを立てる ―― 運命をひらく第一条件である。
第二の条件は、決意すること。小さなことでいい。小さなよきことを決意する。そこから運命の歯車は回転していく。そして決意したら、それを持続すること。花は一瞬にして咲かない。木も瞬時には実を結ばない。自明の理である。 次に、「敬するもの」を持つこと。「敬するもの」とは人が心の中に持った太陽である。すべての生命は太陽に向かって成長する。心もまた敬するものを持つ時、それに向かって成長する。
最後に、「縁」を大事にすること。縁を疎かにして大成した人は一人もいない。
「不幸の三定義」というのがある。友人の西田文郎氏から聞いた。
一、決して素直に「ありがとう」といわない人
一、「ありがとう」といっても、恩返しをしない人
一、「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人
縁のある人に、この逆のことを心がけていくところに、運命をひらく道がある。心したいことである。
『人生論』もよかったですが、『人生論2』はこれまた素敵です。”感動・笑・夢”というタイトルで、椋鳩十さんの講演の内容がご紹介されているのですが、とても面白く椋さんの講演録を購入してしまいました。またこの次の機会にでもご紹介させて頂きます。今回ご紹介した”運命をひらく”の他にも、”読書力”や”人生のテーマ”などもとても素敵で心に沁みるお話です。小さな人生論を読み、初めて知った人物や書籍も沢山あります。この本をベースにいろいろな本や人物の出会いが広がるそんな素敵な本なのですよね~。
さて今回ご紹介した”運命をひらく”ですが、第一の条件として「心のコップを立てる」とあります。この心のコップを立ててあげるのが難しいですね。ただ単純にお話をしただけでは、この心のコップを立てることは難しいと思うのですよね~。そこでキーとなるのは、椋さんの言う「感動は心の扉をひらく」なのではないでしょうか。何かふとしたきっかけで大きな感動に出会うと、心のコップが立ち、環境や疑念などでも横たわることのない、状態が生まれるのではないでしょうか。出来るだけいろいろな人へこの感動を経験させることが、第一の条件である、「心のコップを立てる」ことにつながるのではと思っております。具体的には本を読むことなのですが、本は読む人は何も言わなくても読むし、読まない人は何度言っても読まないですよね。しかも習慣付けさせるまでが大変です。そこで何かのきっかけになればと思い最近はDVDを集めています。NHKのプロフェッショナルの流儀やディスカバリーチャンネルのDVD、講演会のDVD、CSとES向上の為のDoIT!など・・・・DVDであれば入り易いのかな~と思っています。心のコップを立ててあげる、そんなきっかけになれば素敵ですよね。
『人生論』の以前の記事はこちらです → 『人生論』へ
<本文からご紹介>
運命をひらく
過日、古い友人に頼まれ、ある大学で学生に話す機会があった。
教授に伴われて教室に入った途端、唖然とした。百人ほど入れる教室。前方はほとんど空席で、五十人ほどが後方に固まっている。それをジュースを飲んだり食べ物を頬張ったり。教授の姿を認めても様子に変化はない。挨拶するでもなし、私語がとめどもない。
正直、これが大学生かと思った。そこには授業に向かう緊張感も講義に対する好奇心も、いささかも感じられない。どんよりした倦怠感が漂うばかりである。
まず前方の席に詰めてもらった。きびきび移る学生は一人もいない。口にこそ出さないが、迷惑げな気配がありありである。若者たちがよく口にする「かったるい」とはこのことかと思った。
その時点で、準備していったすべてを話すことは放棄した。話題を絞り、質問を発し、感想文を書いてもらい、拙いなりに関心を引くように努めて一時間半の責任を果たした。
帰途、電車の中で彼らの感想文を読んだ。おや、と思った。当方の伝えたかったことをそれぞれが真剣に受け止めていた。教室をおおっていた倦怠感とこの感想文の落差は意外だった。
思うに、彼らも立派な感受性を備えているのだと思う。ただ、心をコップに例えれば、心のコップがきちんと立っていないのだ。心のコップが倒れたり引っくり返ったりしていては、いくら水を注いでもこぼれるばかりである。彼らは心のコップが立たないまま、二十歳近くまで人生を歩んでしまったのではないか。焦点の定まらない生き方を心から惜しいと思った。
運命とは定まっているものではない。自ら運び、ひらいていくものである。そのためには心のコップを立てなければならない。それをなすのが教育である。教育はコップを立てることから始まるといっても過言ではない。
まず心のコップを立てる ―― 運命をひらく第一条件である。
第二の条件は、決意すること。小さなことでいい。小さなよきことを決意する。そこから運命の歯車は回転していく。そして決意したら、それを持続すること。花は一瞬にして咲かない。木も瞬時には実を結ばない。自明の理である。 次に、「敬するもの」を持つこと。「敬するもの」とは人が心の中に持った太陽である。すべての生命は太陽に向かって成長する。心もまた敬するものを持つ時、それに向かって成長する。
最後に、「縁」を大事にすること。縁を疎かにして大成した人は一人もいない。
「不幸の三定義」というのがある。友人の西田文郎氏から聞いた。
一、決して素直に「ありがとう」といわない人
一、「ありがとう」といっても、恩返しをしない人
一、「ありがとう」と唱えただけで恩返しはできたと思っている人
縁のある人に、この逆のことを心がけていくところに、運命をひらく道がある。心したいことである。
『人生論』もよかったですが、『人生論2』はこれまた素敵です。”感動・笑・夢”というタイトルで、椋鳩十さんの講演の内容がご紹介されているのですが、とても面白く椋さんの講演録を購入してしまいました。またこの次の機会にでもご紹介させて頂きます。今回ご紹介した”運命をひらく”の他にも、”読書力”や”人生のテーマ”などもとても素敵で心に沁みるお話です。小さな人生論を読み、初めて知った人物や書籍も沢山あります。この本をベースにいろいろな本や人物の出会いが広がるそんな素敵な本なのですよね~。
さて今回ご紹介した”運命をひらく”ですが、第一の条件として「心のコップを立てる」とあります。この心のコップを立ててあげるのが難しいですね。ただ単純にお話をしただけでは、この心のコップを立てることは難しいと思うのですよね~。そこでキーとなるのは、椋さんの言う「感動は心の扉をひらく」なのではないでしょうか。何かふとしたきっかけで大きな感動に出会うと、心のコップが立ち、環境や疑念などでも横たわることのない、状態が生まれるのではないでしょうか。出来るだけいろいろな人へこの感動を経験させることが、第一の条件である、「心のコップを立てる」ことにつながるのではと思っております。具体的には本を読むことなのですが、本は読む人は何も言わなくても読むし、読まない人は何度言っても読まないですよね。しかも習慣付けさせるまでが大変です。そこで何かのきっかけになればと思い最近はDVDを集めています。NHKのプロフェッショナルの流儀やディスカバリーチャンネルのDVD、講演会のDVD、CSとES向上の為のDoIT!など・・・・DVDであれば入り易いのかな~と思っています。心のコップを立ててあげる、そんなきっかけになれば素敵ですよね。
『人生論』の以前の記事はこちらです → 『人生論』へ
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