SSブログ

『なぜこの会社はモチベーションが高いのか』 ~坂本光司~ [坂本光司]

 
 日本全国6000社を訪問した筆者による渾身の結論

 「人を大切にする会社は モチベーションが高まり 業績も高まる」 


なぜこの会社はモチベーションが高いのか

なぜこの会社はモチベーションが高いのか

  • 作者: 坂本 光司
  • 出版社/メーカー: 商業界
  • 発売日: 2009/09/17
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)



<著者のご紹介>
 著者のご紹介は以前の記事を参照してください → 『日本でいちばん大切にしたい会社』へ

<この本との出会い>
 『日本でいちばん大切にしたい会社』の続編が発刊されたのであわせて購入しました。
 まずはこちらの本からのご紹介です。

<本の構成>
  はじめに
  第1章 モチベーションが高い会社は業績も高い
  第2章 この会社はなぜモチベーションが高いのか?
  第3章 社員のモチベーションを高めるために
  あとがき

  ページ数 213ページ
  読書時間 4時間





 倒産寸前の会社を立て直し
 社員の夢を叶えられる企業を目指す

  日本電鍍工業は1956年に現社長の伊藤麻美さんの亡き父が創業した会社で、電気メッキ等の
 表面処理を中心に業容を展開しています。
  伊藤社長はさわやかな女性で、男性社会ともいえるメッキ業のイメージとは一見するとかけ離れて
 いますが、年上の職人も多い社内環境にもかかわらず、皆から信頼を集めるその姿は、まるで
 家庭をまとめる母親のような存在にも見えます。
  そうした社内の明るい雰囲気からは、つい数年前まで赤字続きで多額の負債を抱え、社員と
 経営陣との間に埋めようのない溝があった会社とはまったく思えません。
  今でこそ中小企業庁「元気なものづくり企業」に選ばれるほど高い技術力を評価される企業ですが、
 かつて手に負えない経営危機に陥った過去があるのです。
  最盛期で180人ほどいた社員は50人弱まで減少。当時は皆が猜疑心と不安を抱え、モチベーション
 どころか。いつ会社を辞めようかと考える暗い状態だったのです。

 経営危機の会社を3年で黒字に転換

  設立以来、時計メーカーの表面処理の指定工場となるほど技術力があり、かつ営業力にも
 恵まれた同社は、高度経済成長期の波に乗り順調に拡大しました。一時は表面処理に使う
 金の資料量が世界で一番になり、ギネスブックへの掲載の誘いもあったほど。
  しかし創業者である麻美さんの父の急逝後、状況が一変。バブル経済後の不況と顧客の
 海外流出で業績は下降、変化に対応できない次の社長の独裁的経営により、かつて地域の
 人たちから「あの会社に入社すれば大丈夫」と言われた老舗企業は、たちまち経営危機に
 陥りました。
  最盛期で約40億円あった売上は、2000年度には約4億円にまで落ち込み、10億円の負債を
 抱える倒産寸前の瀬戸際に追い詰められてしまいます。
  そんな中、創業家の一人娘である麻美さんは「最悪の場合でも私が自己破産すればよい」と
 覚悟を決めて社長に就き再生に着手、わずか3年で黒字転換を果たしました。売上高も2008年
 1月期には6億4000万円まで回復、現在も成長を続けています。
  日本電鍍工業にとって、社員のモチベーション向上と経営危機からの復活との関係は極めて
 密接です。倒産寸前で財政的にも厳しい会社が、一体どのようにして現在のような明るい成長企業に
 よみがえることができたのでしょうか。

 「社員に支えられた会社に恩返しがしたい」

  同社にとって、そもそも麻美さんが跡を継ぐことは、当初まったく想定されていませんでした。
 「今しかできないことに存分に取り組んでほしい」との教育方針で育てられた麻美さんは、ラジオの
 DJや宝石鑑定士といったメッキとは無縁の世界に進みます。
  しかしその間に会社を取り巻く環境は急激に悪化。父の急逝後に社長を継いだ経営者は資産を
 食いつぶし、業績が落ちると社員の給与ダウン、さらに人員整理を断行。会社は最悪の状態に
 陥ってしまいました。
  ついに米国で仕事をしていた麻美さんのもとに実家から「戻ってきて」と連絡が入ります。そして
 その時初めて会社が倒産寸前で、自宅も売却されるという事実を知らされるのです。
  慌てて帰国したものの、倒産手続きのために会社に通ううちに、麻美さんには次第に社員たちの
 「顔」が見え始めてきました。その過程で、「私が不自由なく育ったのは社員に支えられた
 この会社のおかげ。ならば恩返しがしたい」と、何とか会社を継続できないものかと考えるように
 なります。
  初めは、つてをたどって経営を行ってくれる人を探しましたが、低迷する会社の状態を知ると
 引き受けてくれる人は誰もいません。「自分がやらなければ一生後悔する。」こう考えた麻美さんは
 自ら先頭に立つことを決意。32歳の時でした。

 真摯に向き合う社長の姿に社員が心を開く

  社長に就任した麻美さんが最も防ぎたかったのは社員の退職でした。しかし、これまでの経緯で
 かつてないほど悪化した社内の環境を好転させる材料はありません。そんな状況下、何とか
 会社を立て直そうと社内のモチベーションを喚起するために3つの取り組みを行いました。
  その一つ目が「コミュニケーション」でした。社長就任の際、「自分は素人です。いつ業績が
 回復するかも分かりません。でも業績を景気のせいにはしたくない。どうか皆さんの力を貸して
 ください」と精いっぱい訴えました。
  するとその姿を見て、「お父上へ恩返しがしたい」と多くの社員が退職を踏みとどまったのです。
  また、毎朝の全員との挨拶も欠かしませんでした。しかし未経験の業種に飛び込んだ女性社長と
 いうことで、はじめはわざと返事をしない人もいたそうです。それでも毎朝全員のもとに行き、大きな
 声で挨拶を続ける毎日。この姿に最後まで応じなかった人もついに根負けして返事をし、やっと全員と
 挨拶を交わすことができたのです。
  実はこの時期、伊藤社長は大変なストレスを抱える毎日でした。外部との折衝で、金融機関からは
 「あなたではなく本当の経営者を連れてこい」、また、別の機関からは「会社がどうなっても知った
 ことではない」などと心ないことを言われ、涙を通り越して背中に嫌な汗が流れるほどつらい思いを
 していたのです。しかし、それでもコミュニケーションを欠かさない伊藤社長の姿勢に、周りも徐々に
 応え始めていくのでした。
  2つ目は「情報開示」です。全盛期を知る社員の中には、まさか会社は倒産しないだとうと考える
 人もいました。しかし会議などを通じて会社の状況を開示することで危機感を共有し、回復に向けた
 共通認識を持つことを促しました。
  3つ目が「チャレンジ」。売上が激減する中、新たな顧客の開拓が必須でしたが、当時の社内に
 挑戦意欲はありませんでした。伊藤社長は仕事が終わった後、有志を集めて新規開拓に取り組み
 始めます。

 「今日はだめでもいつか絶対できる」

  当時社内に1台だけあったインターネットがつながるパソコンで手作りのホームページを制作、
 そしてこのホームページを見て1件の引き合いが来るのです。それは医療用のカテーテルに
 厚メッキを施す技術的に困難な案件。他のメッキ会社に断られたものだと言います。当然社員も
 「できない」と拒絶しました。
  しかし伊藤社長は「今日はだめでもいつか絶対できる」と引き下がりません。そして試行錯誤の
 末、ついに顧客の要望に応えてしまうのです。これを機に社内に「できない」という雰囲気はなくなり
 ました。
  伊藤社長の取り組みは除々に社員に伝わり始め、逆回転していた会社の歯車は再び前に進み
 始めます。そして、社員たちの会社や社長に対する愛情が形に表れ始めます。
  「社長大変です。今すぐ来てください」。ある日、伊藤社長のもとに社員が慌ててやって来ます。
 「またトラブルか・・・」。渋々出向くと何と社員同士が大喧嘩をしていました。すると「今日こそ社長に
 言わなければいけないことがあるので前に来てください」と言い出します。伊藤社長はとっさに、
 自分の経営への不満をぶつけられるのでは、と直感しました。
  緊張しながら向かうと、張り詰めていた空気が一変。何とクラッカーが鳴り響き、突然全員による
 盛大なパーティーが始まりました。
  実はこの喧嘩はすべてお芝居。伊藤社長の誕生日を祝うためのサプライズだったそうです。皆で
 密かに計画していたそうで、思いもよらないプレゼントに伊藤社長は驚くやら感激するやらで思わず
 涙が出てしまったそうです。こうした過程で社内の雰囲気も明るくなり自然とモチベーションが
 向上した同社は、生産分野の少量多品種への流れにも柔軟に対応できるようになり業績も回復。
 伊藤社長の就任後わずか3年で黒字転換を果たしたのです。

 なけなしのお年玉を受け取らない社員

  社員のモチベーションが向上し、復活した成功のポイントとしてまず伊藤社長による感謝の思いが
 あります。
  再建の途上で精いっぱい働く社員に対し、伊藤社長は感謝の気持ちを形にしたいと思いました。
 しかし財政状況は厳しく、賞与や昇給に反映する余裕はありません。さんざん考えた末、銀行から
 50万円を引き出し、年末に「お年玉」として当時50人いた社員に、1人1万円ずつ配ることにしました。
  ところが、いざ配りに行くと皆受け取ろうとしないそうです。口々に「会社が大変な時なのだから
 そちらに回してください」「資金繰りに使ってください」と、自分より会社を優先してほしいと言うのです。
 何とか無事に配り終えましたが、年が明けると今度はある社員が「あのお金何に使ったか分かる?」
 と聞いてきたそうです。
  すると「会社に悪いことが起こらないようにお払いしてもらった」とうれしそうに言うのです。また他にも
 「仏壇に供えた」「肌身離さず持っています」等の声が聞かれたそうです。おそらくこの1万円は、
 伊藤社長と社員の心に、その何倍もの価値をもたらしたはずです。

 皆のため「100年続く企業」に

  伊藤社長の願いは「社員の夢を叶えられる会社にしたい」ということ。日本電鍍工業を「100年企業」
 にして、皆が安心して勤められる会社となればよいと考えています。
  これらの目標の達成には人材育成と技能の継承が不可欠ですが、幸いなことに就職を希望する
 人が後を絶たず、また定年退職者の多くが嘱託として会社にとどまり、技能の継承に励む好循環が
 生まれています。
  女性の比率も他のメッキ会社と比較する突出して高く、女性が働きやすい環境の実現に向け
 「子育て応援宣言企業」にも登録しています。
  「社員の夢を叶えられる会社にしたい」と願う伊藤社長はその思いを表現し、行動し続けます。
 危機を一体となって乗り越えてきた社員の意識は高く、仕事を通して自らの夢を叶えていく日も
 近そうです。





 かなりの長文ですが、お読みいただいていかがでしょうか?
 この本にはこんなモチベーションの高い会社が多数紹介されております。でもほとんどがほぼ完成された
 会社ばかりで・・・その中で日本電鍍工業は経営危機からの復活について記述されていてとても勉強に
 なりませんか? 私はこの素敵な内容にジーンとしてしまい、ちょと涙目になってしまいました。
 伊藤社長が取り組んだ3つのテーマは、”コミュニケーション”、”情報開示”、”チャレンジ”なのですが、
 きっと他の会社も取り組んではいると思いますが、方向が少し違うのではと思います。
 伊藤社長のコミュニケーションは、社長自らが全員に挨拶をするという、自発的なコミュニケーションです。
 ほとんどの企業では、おそらくコミュケーションを良くしましょうと取り組んでも、あくまでも直属の上司と
 その回りのみで、ほんの狭い範囲でのコミュニケーションに限られているのでは?と感じます。
 この本に取り上げられている他の企業も、社長と一般社員のコミュニケーションに力を入れている企業が
 とても目立つと感じました。ここらが重要な取り組みの一つになるのではないでしょうか。

 また、二つ目の取り組みとして情報開示があげられております。第3章での調査結果によると、
 社員がモチベーションを低下させる要因として、第1位が経営陣や上司への信頼感をなくした時、
 第2位が賃金や処遇に対する不満が生じた時となっており、これらは、コミュニケーションと、情報開示に
 絡んでくるのではないかと思っております。会社の経営状況をきちんと説明し、それを取り巻く情報を
 出来るだけ速やかに開示することが、社員のモチベーション向上にもつながると思います。
 私の経験から言うと、賃金について不満を持っている殆どの社員は、会社の経営状況(特に経費関連)に
 ついて殆どしらない社員が圧倒的に多いです。この辺をきちんと説明してあげると、理解してくれると
 思います。やはりちゃんとした説明(コミュニケーション)は重要なんですね。

 三つ目はチャレンジをあげております。やはりいきなり大きな事にチャレンジしましょうと言っても、
 なかなか誰もいいアイディアは出てこないものです。この点は札幌の洋菓子店「きのとや」の取り組みが
 とても参考になるのではないかと思っております。きのとやでは年間3000件を超える改善案が提示
 されてくるそうです。この制度は「社内改善提案制度」といいい、社内から改善案を自由に提示して
 もらい金一封を支給するそうですが、この金一封が500円という少額がミソなんではないでしょうか。
 まずはささやかな点でもいいので、自由に改善案を提示できる環境を構築していくのが良いのでは
 ないかと思います。
 やはり何よりも文頭に記述されている通り、人を大切にする会社はモチベーションが高まり
 その結果業績が高まるという事があらためて実感できるとても素敵な本ですね。
 これらの企業のDoITのDVDも見てみたいですね~。





タグ:素敵な会社
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。